2013年3月18日月曜日

Devil Doll, インタビュー要約(6)


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(承前)

『宗教冒涜(Sacrilegium)』

『宗教冒涜(Sacrilegium)』はDevil Dollのアルバムのなかで、もっとも強烈で、閉所恐怖症的なアルバムであるという。これはユーゴスラビア戦争のさなかにレコーディングされている。そのため、グループの半数を占めるイタリア人メンバーのうちでユーゴ国境を渡って来ようとしたのは、ドラマーのRob DaniとピアニストのFrancesco Cartaだけであった。ほかの者たちはレコーディング以前に辞めてしまったが、Michele Fantini Jesrumuだけは最後に参加しているという。彼はMr. Doctorと中等学校で8年間同級生であり、伝説的なフランスのオルガン奏者、Jean Guillouの弟子で、素晴らしいパイプオルガンの即興演奏者であった。『宗教冒涜』のストーリーは第二次大戦前のヨーロッパが舞台であり、そこに漂う退廃、疑惑、切迫した死といった雰囲気は、当時のユーゴスラビアの街中の空気と似ていないこともなかったと彼は言う。この設定は、当時のMr. Doctorが置かれた、自滅的な個人的苦悶(suicidal personal anguish)を反映しているようだ。そのため、彼のボーカルは、その後とても再現出来ないような、絶望に満ち溢れたものになったという。

『宗教冒涜(サウンドトラック・バージョン)(The Sacrilege of Fatal Arms)』

希薄な人生の慰めとして、Mr. Doctorは、The Sacrilege of Fatal Armsというサイレント映画を書き、撮影した。そこには、『宗教冒涜』から取られた(リミックスされた)、ドライヤー的な交響曲がサウンドトラックとして付けられ、さらに映画の雰囲気に合うように、30分の追加素材が録音されたという。この映画とサウンドトラックは、彼らが演奏するドリナ行進曲(1(Drina March:これは先のユーゴスラビア戦争で、もっとも苛烈な政党のアンセムになったという)で幕を開ける。

『怒りの日(Dies Irae)』

The Sacrilege of Fatal Armsを書き上げた後、Mr. Doctorは『怒りの日(The Day of Wrath)』と名付けられるはずだったアルバムをレコーディングし始めるが、レコーディング途中でスタジオは全焼してしまう。この原因は、いまだに戦後の闇に隠れたままであるという。Mr. Doctor自身は無事であったが、テープは焼けてしまい、ミックスされていないカセットだけが生き延びることが出来た。結局別のスタジオで再開しなければならないことになったという。つまり、Dies IraeThe Day of Wrathの残骸から蘇ったのである。このアルバムのコンセプトは二段階で成り立っているという。一つ目は、愛、生命、死後の生などにかんするパラドックス的な哲学的問題(愛する人の永遠の命を確約するために、彼女を殺さなければならないなど)にかんしてである。もう一つは個人的なレベルである。Mr. Doctorの魂を長年はぐくんできたあらゆる影響が、500以上もの引用、参照、手がかりとなって、歌詞、アートワーク、音楽のうちに紛れ込んでいる。歌詞については、殺害の描写(「そして処女の刃が口づけし、お前の白い喉を解き放つ(and the virgin blade kisses, freeing, your white throat)」)や、オーケストラ終了後の、拘束衣を着た男の最後の独白などが気に入っているという。一方音楽的には、Mr. Doctorはいまだに「インキュバス(Incubus)」の部分が気に入っているというが、『怒りの日』のために収録されたマテリアルは、マスター・テープで700分以上あり、時間に直すとたった数分の「インキュバス」の部分も、大量の素材の中から、悪夢を表現するために、わざと無造作に、ちぐはぐに素材を選び、組み合わせたものであるという。

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(1)ドリナ行進曲(March of the Drina):第一次大戦時の、セルビアの愛国歌。スタニスラフ・ビニチュキ(Stanislav Binički)作曲。第一次大戦時、ドリナ川はオーストリア=ハンガリー軍とセルビア軍を分ける境界線でもあり、チェルの戦い(1914年8月16-19日)により、数に勝るオーストリア=ハンガリー軍を撃破したセルビア軍の勝利の報を聞き、ビニチュキが作曲した。

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