2013年10月3日木曜日

『ドクター・フー』シーズン1、第3話「にぎやかな死体」

ドクター・フー、シーズン1、第3話「にぎやかな死体」
Doctor Who, Season 1, ep.2, "The Unquiet Dead," 2005年4月9日イギリス初放送

 第2話の感想はこちら

 ドクター・フーの第3話。
 第1話は導入、第2話は未来と来て、第3話は過去と、割と定石通りの作り。
 今回タイムスリップする先は1869年12月24日のカーディフ。
 カーディフって名前は聞いたことあるけど、詳しく知らないなぁ。どんなとこだ?と思ったら、ウェールズの首都らしい。果たしてウェールズがイギリス全体のなかでどういう位置付けかは知らないが、まぁあまりオシャレなところではないのだろう。イギリスのなかでもイングランド以外は激しい抵抗をしていたわけだし、複雑な民族感情というものもあるのだろう。また今回出演したキャスト、葬儀屋のゲイブリエル・スニードと召使のグウィネスがえらい訛ってるなぁと思ったら、二人とも役者さんウェールズ出身なのね。グウィネス役のイヴ・マイルズはドクター・フーのスピンオフ、『トーチウッド』にも出演しているらしい。しかも『トーチウッド』の舞台はこのカーディフだとか。
 たしかに、このドクター・フーも最後のクレジットに出る制作がBBC Walesだったし、なぜにウェールズ?と思っていたけど、本当にBBCウェールズが作っているのかね?
 しかしまぁ、この二人のウェールズ訛りはすごいもんだね。イギリス人は分かるのかな?
 ドクターも北部訛りがとか言われてたけど、北部ってスコットランド?ドクターの英語にはスコットランド訛りがあるってことなのかな?ドクターの役者、クリストファー・エックレストンはランカシャーの生まれらしいけど、このランカシャーってのが北部ってことなのかな?ランカシャーはスコットランドじゃなくて、「イングランド北部」だけど、北部訛りってそういうこと?方言はかなり気になるので、今度詳しく調べてみよう。

 さて、最初は1860年のナポリとか言っていたが、結局着いたのは69年のウェールズ。
 着いてみるとそれはそれで風情がある感じ。それなりに時代劇的に描いているけど、本当はもっともっと汚かったんだろうねぇ。ロケじゃなくてスタジオ撮影?
 舞台はこのスニードが経営する葬儀屋で、死体が起き上がるという事件が発生。死体のなかにエクトプラズムみたいなものが入って起き上がる。逃亡した死体は、ちょうど講演会に訪れていたチャールズ・ディケンズのもとに行く。そこで大暴れして、ひょんなことからドクター、ローズ、ディケンズと一緒に、スニード葬儀社の死体起き上がり事件の解決に乗り出すという話。

 最終的に、このエクトプラズムたちはゲルスという存在だということが分かるのだが、こいつらはいったい何者だったんだ?エイリアン?しかし、ゲルスの依代になろうとしたグウィネスに憑りついて本性を現すシーンはなかなかに圧巻。ドクターとローズが奥の部屋に閉じ込められて、金網からゾンビたちが手を伸ばしてくるシーンは、絶対になにかゾンビ映画のオマージュだと思うけど、自分はゾンビ映画に詳しくないので、ちょっと分からなかった。

 このグウィネスは、どうやら他人の心を読むという特殊能力を持っていたようで、ローズと話しているときにもいろいろ彼女の心を読んでいた。それによると、やはりローズの父親は亡くなっているよう。じゃあお母さん、いまなにしてるんだ?無職?
 また、最後に「バッド・ウルフ!?」と怯えていたが、Wikipedia英語版によると、これは後で発覚する伏線ということらしい。ネタバレが嫌なので詳しく読んでいないので、内容までは分からないけど。

 ラストシーン、このすさまじい体験を経たディケンズは、「自分は何も知らなかった!」と言って、意気込みも新たに、いま書いている小説の続きを書くぞ、と決心するのだけど、どうやらディケンズは1870年6月9日に亡くなるということで、劇中でも触れられていた『エドウィン・ドルードの謎(The Mystery of Edwin Drood)』は未完のまま残されたらしい。劇中でディケンズは、「犯人を叔父じゃなく幽霊にするぞ!」と言っていたが、どうやら『エドウィン・ドロッド』における殺人犯が誰かということは、長い間議論の対象になっているらしく、その辺りを絡めてあるのだろう。自分はディケンズ、それほど詳しくないので、それほどこのネタにドキドキ出来なかったけど、イギリス人からすると「あー、あれね!」という感じなのだろうか。日本人だと、夏目漱石が『明暗』のラストを主人公に伝えるとか、そんな感じか。ドストエフスキーが『カラマーゾフ』第二部の原稿を主人公に渡すとか。それなかものすごく興奮する。なんていうネタの最高峰が、アリストテレス『詩学』第二部を題材にしたウンベルト・エーコ『薔薇の名前』だろうか。あれは映画版もいいけど、断然小説版の原作が良い。映画版は怪奇人間大集合といった趣が強いけど(映画版ももちろん傑作だけど)、映画版だと肝心の謎解きの部分が割とあっさりしていて、そこが残念(もちろん原作のあんなネタ、映画で出来ないのは当然なんだけど)。

 最後、ディケンズが、「神の祝福あれ、我ら全員に!(God bless us, everyone!)」というのは、『クリスマス・キャロル』のスクルージからの引用らしい。
 この回は、知らなくても楽しめるけど、ディケンズや当時のイギリスの社会風俗に詳しいと、もっと楽しめたんじゃないかなぁ。



『ドクター・フー』シーズン1、第2話「地球最後の日」

ドクター・フー、シーズン1、第2話「地球最後の日」
Doctor Who, Season 1, ep.2, "The End of the World," 2005年4月2日イギリス初放送

 第1話の感想はこちら
 ドクター・フーの第2話。
 前回の終わりでドクターと一緒に行くことを決意したローズは箱型タイムマシン「ターディス」に乗り込むが、まず最初の行先は50億年後、地球最後の日。

 最初どこへ行くかというシーンで、未来を所望するのはいいけど、100年後はべつに驚かない、じゃあ1万年後…といって、ずんずんダイヤルを回していって、最終的には50億年後に着くのだが、新ローマ帝国、見てみたい。ローズ、そういうのには興味ないのか?

 扉を開けてみたらばそこは…地球軌道上に浮かぶ宇宙ステーションのなか、いまかいまかと地球最期の瞬間を待ちわびるゲストたちが集まっていた…。ということだが、やはり子供向けだからなのか、この宇宙ステーションの内装が、なんだか期待外れ。50億年後っていったら、もっと人間離れしてるんじゃないの?って思うが、あまりにも奇抜で、視聴者の理解の範疇を越えたデザインにするといけないという判断なんだろう。

 それと同じく、登場するエイリアンたちのデザインも、まぁなんというか凡庸な感じ。悪くはないんだけどね。顔だけの異星人なんか(Face of Boe、ボーの顔)、なかなか面白い。ただ、この辺りのエイリアンのデザインは、デヴィッド・リンチの『デューン 砂の惑星』の方がすさまじいかなぁ。あれは映画としてはダイジェストなうえにまとまりがなくて、原作を読んでいないと理解不能な代物だったけど(もしくは、ものすごく金のかかったプロモーションビデオ)、ドクター・フーのデザインは、どちらかというと、スターウォーズ寄りかな。ヒューマノイドタイプが多いところとか。もちろんクオリティはスターウォーズの方が圧倒的に高いんだけど。

 しかし、「最後の人類」こと、カッサンドラの造形はなかなか面白かった。よく未来の人類のデザインは?なんて言われて、いわゆる「グレイ」みたいなのが連想されるけど、ここまで極端な造形にまで突き抜けてしまうと面白い。手も足も全部なくしてしまうというのはすごい。自分だったら、機械を操作するためにでも、指の一本は残しておくと思うけど…。

 ストーリーとしては、地球最後の日を見学するために50億年後の地球(軌道上)を訪れたドクターとローズは、地球最後の瞬間を見学するためのイベントに参加する。そこには宇宙各地からさまざまなセレブが訪れていた。最後の人類カッサンドラも含めて。しかしその水面下では恐るべき陰謀が進められていた…。というもの。

 この宇宙ステーションの職員を演じる青い肌の宇宙人たちは、外見的にはそれなりに面白いのに、なんというかメンタリティがあまりにも人間的ですこしガッカリ。

 木人のジェイブがなかなかいい味を出している。彼女は今回だけで再登場はないのかな?いい人(?)だったので、すこし残念。しかし彼女がドクターを「タイム・ロード(Time Lord)」と言ったのはどういうこと?「時の君主」って、それは種族名なのだろうか?どうやらドクターはこのタイム・ロードの最後の生き残りということのようだが…。

 ラストシーン、現代に戻ったローズとドクター。最後にローズが言う、「食べられなくなるまで、あと50億年しかないんだから」というセリフ、なぜかちょっと感動してしまった。

 第3話の感想はこちら

2013年10月1日火曜日

『ドクター・フー』シーズン1、第1話「マネキン・ウォーズ」

ドクター・フー、シーズン1、第1話「マネキン・ウォーズ」
Doctor Who, Season 1, ep. 1, "Rose," 2005年3月26日イギリス発放送

 ドクター・フーとは、イギリスで1963年から放送されているテレビ番組であり、これはそのリバイバル版。どうやら1989年までで一旦その放送の幕を下ろしているのだが、その後一度のテレビ映画を挟み、その後再開したテレビシリーズが本作らしい。

 なので、イギリスの人にとってはものすごく懐かしいのだろうが、自分は旧作のドクター・フーを見ていないので、その懐かしさを共有することは出来ない。残念。現代のイギリスの刑事が1973年にタイムスリップするドラマ、『Life on Mars』でも、未来のことが分かると言う主人公にたいして「あなたもしかしてドクター・フーなの?」と言われるシーンがあったが、これを指しているのか。1973年の時点でも放送から10年たっている長寿番組だったわけか。

 それで、今作はそのリバイバル版だが、どうやらリメイクではなく、普通に続編ということらしい。詳しいことはよく分からないのだが、ここで出てくるのは9代目ドクターということらしいので、緩やかにストーリーはつながっているのだろう。しかし、これまでの放送を見ていないと理解出来ないということもなく、基本的には初見に優しい造りになっている。もちろん古くからの視聴者はより楽しめる造りになっているのだろうけど。

 その記念すべき第1話は「マネキン・ウォーズ」。なんともセンスのない邦題である。原題は「Rose」。ここに出てくる主人公のローズ・タイラーの名前から取っているのだろう。べつに邦題も「ローズ」で良かったのにと思うのだが。

 そのローズはロンドンで働く若い女性。大学は出ておらず、とくに未来に展望もない。彼氏は黒人というのが2005年という感じがしたが。デパートの服飾店で働いているようなのだが、店員の制服とか、そのブランドの服とかはないのだろうか?普通に普段着で働いていたように思うけど。それとも、普段着ブランドのお店なのだろうか?ユニクロとかGAP的な。

 そのローズが退社際に警備員から荷物を渡され(鍵かなにかか?英語版Wikipediaによれば売上金らしいが)、警備主任にそれを届けるために地下倉庫に行くところから事件が始まる。
 誰もいない地下ヤードで主任を探すが、閉じ込められ、動き出したマネキンに襲撃される。そこをドクターと名乗る不思議な男に助けられるが、彼はマネキンを倒すためにデパートを爆破すると言う。ドクターに促されひとりでデパートを逃げ出したローズは、デパートが火を上げ爆発するのを少し離れた場所で茫然と見上げる…。

 2005年という時代があるのか、それとももともと「子供向け番組」であったということも起因するのか、まぁなんというかCGがややチャチい。2005年ってもっとCG技術あったでしょ?
 テレビだから予算が少なかったのか?
 このCGのしょぼさが全体的に「作り物感」を上げている。まぁ安心して楽しめるドラマというのが売りなのだろうから、それでも良いのだけど。

 名前の出てくる登場人物は少なく、基本的に4人(+1?)。

 ドクター・フーは正体不明の男。ローズに対してあまり細かいことを説明しないまま物事をどんどん進めていく。自らをエイリアンと言ったりしているが、どうやらタイムトラベラーということらしい。現代の人間を「猿」と言ったりしているため、やや過去の人間を軽く見ている?
 しかしLife on Marsも、最近のSherlockもそうだけど、何と言うか「イギリス人ってこういう俳優好きだな~」という感じ。決して美男子ではないけど、イギリスっぽくて好き。

 ローズ・タイラーは(元)デパートの店員。ドクターがデパートを爆破したせいで無職になり、ドクターの正体を探るうちにいろいろな事件に巻き込まれていく…。ムッチリしていて、正統派美少女という感じではなく、ややアクがあるのだが、そのアクが良い。ダサ可愛い。ローズを演じるビリー・パイパーは82年生まれだから、当時23歳。劇中ローズも同じ年だとすれば、高卒で働く女性としては、いろいろ閉塞感も生まれてくる年齢なのだろうか。運動だけは得意!という設定はややありきたりなようにも感じたが、全体的に好感の持てるキャラクターである。後ろから見たときの腰から下のズドンとした野暮ったい感じが、いかにも普通の女の子といった感じで良い。最後彼氏のミッキーに「ありがとう、なぜかは分からないけど」というところ、なんとなく切なくなった。

 ミッキーはローズの彼氏。白人女性の彼氏が黒人青年というのは、時代を感じる。まぁ実際の現代のロンドンは黒人というよりも、インド、パキスタンからの移民がかなり目立つようになったらしいが。ロンドンも立派な多民族都市なのだろう。東京もそうだが。このミッキー、なんというか、軽薄でお調子者でという、黒人キャラの典型のような造形。途中聞き込みにいくローズに嫉妬したりと、年相応の感じはあるが。しかしこのミッキー、危機に対して全然役に立たないキャラとして描かれている!もっと頑張れよ~。そんなんだからローズに愛想付尽かされてしまうんだろ。

 ローズの母は、なんというか、「ローズのどうしようもない現状」を説明するためだけに配置されているようなダメキャラ。いったい何をしている人なのだろう?父親の描写はなかったので、母子家庭?すると、この母親もどこかで働いているのだろうか?若いころは美人だったんだろうなぁ、そしていまも自分は「メス」として戦えると思っているんだろうなぁ、しかし周囲の認識とのギャップに付いていけてないんだろうなぁという感じが、嫌なベクトルでリアル。たまたま家に来たドクターを誘惑しようとしたり、なんというか欲求不満な感じが伝わってくる。こういうひと、いるよね!と頷きたくなってしまうリアリティがあるが、このリアリティに喜ぶひとっているのかな?

 そしてクライヴというドクター研究家の男性。家族もいるが、いったい生業はなんなんだ?ドクター研究家って職業か?この人、後半のマネキン襲撃シーンでマネキンに襲われてしまったが、今回限りのモブキャラなのだろうか…。

 プラスティックを操ることの出来る宇宙人、ネステンが敵役で登場したが、溶岩魔人?ここもややCGとの合成が甘く感じてしまった。
 現代の目から見ると、ややCGが甘いかなという気もするが、総じて出来の良い、優れたドラマだと思う。

 第2話の感想はこちら

マリス・ミゼル『ヴォワヤージュ』、Malice Mizer『Voyage』

Malice Mizer, 『Voyage』1996年

 90年代後半はビジュアル系の時代だった。
 90年代はバブル崩壊のあとの不景気などと言われながら、日本でCDが一番売れた時代でもあった思われる。おそらく、なんだかんだ不景気だと言っても、バブル景気による購買の雰囲気と、またインターネットがいまだ一部のマニアのものであったということもあるだろう(2000年代初頭で、ようやく常時接続が可能になってきた感じだ)。

 そんなJ-Pop最期の輝きの時代に咲いた時代の仇花が二つある。小室ミュージックとビジュアル系である。両方とも、90年代を象徴する音楽と言って良いだろう。小室哲哉はその後すったもんだがあり、大変なことになったが、ビジュアル系も最盛期は90年代後半だろう。
 ビジュアル系そのものは現在も健在であるが(余談だが新宿タワレコはなぜビジュアル系の階をJ-Popと分けている?隣はアイドルとジャニーズだから、そういうくくり?)、90年代後半には、まさに雨後の竹の子の如く新バンドがメジャーデビューしていった。

 ビジュアル系がどこから始まるか、という論争は一時期(一部で)盛んに行われたが、個人的にはX(後のX Japan)をビジュアル系の始祖とするにはやや異論がある。もちろんYoshikiの紡ぎ出す幻想的世界観(Blue BloodのRoes of Painは耽美というよりプログレ的ですらある)や、あの強烈なビジュアル、そしてHideの言葉を基にしたと言われる「ビジュアル」という言葉など、さまざまな意味でビジュアル系がXを元祖としていることに疑いはない。ただ、自分としては、むしろXの弟分であったLuna Seaの方が、後の「ビジュアル系」と言われるテンプレートに近い姿をしていたように思う。売れると化粧が薄くなってポップな歌を歌い始めるところも…。

 さて、そのビジュアル系の歴史のなかでも、やや後発組に位置するのがこのMalice Mizerであろう。本作『Voyage』は1996年であるがインディーズ作品で、同年にはGlayが名盤『Beloved』を発表、97年にはX Japanが解散し、Glayがベスト盤『Review』を出し、L'arc~en~cielは復帰第一弾として『虹』を発表した。世間的にはGlayかラルクかといった感じで、この辺りから実力を持ったインディーズバンドのメジャーデビューが一気に進むことになる。La'cryma Christi、Shazna、Fanatic Crisisなどは97年にメジャーデビュー。Malice Mizerのメジャーシングル『ヴェル・エール』も97年なので、この辺りにドバっとデビューしている感じである。だいたい97年あたりから99年ぐらいまでの3年ぐらいが、まぁビジュアル系の第一次ブームだったんじゃないだろうか。

 そしてこの『Voyage』、97年のメジャーデビューを翌年に抱えた96年の作品ということで、いまから思えばかなりの時代物である。しかし侮るなかれ、個人的にはこの『Voyage』、メジャーアルバムの『Merveille』に勝るとも劣らない名盤である。
 しかし…、本作には大きな問題がある…。

 それは、音作りがショボイ、ということである!

 もう、これほど新録して欲しいと思ったアルバムはない!楽曲そのものは素晴らしいのだが、結局こういう大げさなシアトリカルロックバンドって、どうしてもオーケストラなんかをバックに必要とするわけで、そうなるとどうしても資金力が必要になってしまうのではないだろうか。
 単純にアレンジが下手という問題もあるかもしれないが。
 実際、メジャーデビューし、Glayも手掛けた元四人囃子の佐久間正英がかかわった『Merveille』の出来は素晴らしい。楽曲の魅力では決して劣るわけではないので、その辺りが非常に惜しい…!

 内容は、1曲目のインスト「闇の彼方へ~」でおどろおどろしく始まり、流れるように2曲目「Transylvania」へ。この流れはありがちでもあるが見事である。題名の通り吸血鬼を題材に取ったシアトリカルな曲であるが、まぁ歌詞の方はそれっぽい言葉を並べただけの雰囲気曲と言ってもいいかな…。曲も単調で、それほど見るべきものはないかも。
 3曲目「追憶の破片」はピアノソロから始まり、二本のギターが絡み合うイントロへと流れて行く。こういうタイプの曲ってピアノ(スロー)⇒ギター(アップテンポ)というのが普通だが、この曲はずーっとミドルテンポのまま進んでゆく。ちょっと不思議な感じ。当時Gacktはインタビューなんかで、小さいころ沖縄の海で溺れたときの体験をもとにしていると言っていたように思うが、どうなんだろうか…?それ以降霊感が付いて、ほかの人に見えないものが見えるようになったとも言っていたけど。それ以降自分は臨死体験の歌として聞いているが…。まぁ、いろんな解釈があるってことで。しかし、『Voyage』前半の盛り上がりどころであることも確か。
 4曲目「premier amour」は何と言うかさわやかな曲。題名も「ハツコイ」だしね。やはりバッキングのシンセがちょっと安っぽいなぁ。歌詞もなんというか他愛もないんだけど、このアルバムは、じつはこういった小品が良かったりする。
 5曲目「偽りのmusette」は「偽りの」なんて言われているけど、曲調はフランスのミュゼッとをパロディにしたような感じ。外国語を直訳したような、変な日本語の歌詞も曲調に合っていて、なかなか面白い作品。
 6曲目「N・p・s N・g・s」は、No pains, No gains「労なくして得るものなし」という諺からか。なんともアヴァンギャルドで二転三転する曲調だが、面白い。ただ、やはりサウンドがどうしてもショボイ。メジャーになった後のシングル『Illuminati』にカップリングとして再録されたが、そちらは音作りが格段に良くなっている。やはりアレンジャーの力か…。あと、歌詞の「die game」って「death game」の間違いじゃない?って昔雑誌記者に聞かれてたら、「いや、あれはdieで合っている、つまり劇的に死ねって意味なんだ」ってGacktは答えてたけど、それだと「die gamely」だろう。若かった自分は「ほぉー、そうなんだ、Gacktすごいな~」って信じてたけど、嘘情報だった。
 7曲目「claire~月の調べ~」は、古い映画音楽のような、チリチリとしたノイズと共にドラクエのほこらの音楽が始まり…。曲自体は割と普通、というか、ポップスといっても全然問題ない。メロディーも聞いていて楽しく、のちのau revoireにもつながるような雰囲気(まぁこっちは、ロックと言うより歌謡曲的ではあるが)。まぁGacktのフランス語の発音が壊滅的なのは、ご愛嬌ということで。
 8曲目「Madrigal」は題名がマドリガルだけど、これ、曲調はマドリガルなのか…?イントロはクラシカルというか、ストリングスが入り「おっ」と思うが、曲そのものは普通。普通のラブソング。しかしこの普通のラブソングの方が、Gacktの歌詞は生き生きしているように思う。後のソロ活動を見ていると、こっちの方が彼の本質に近かったのかもなぁ。愛すべき佳曲。
 9曲目「死の舞踏」は実質このアルバムのラスト。シンデレラ伝説をモチーフにした曲で、のちの「ヴェル・エール」なんかにもつながる、シアトリカル・ロックの名曲である。もちろん本アルバムのハイライトでもある。ツインギターがバッハのように絡み合うイントロは「追憶の破片」もそうだけど、Malice Mizerってテクニックで売るバンドじゃないんだなぁということを再確認させる(つまり、べつに上手くない!)。だけど、曲調と合っていればいいじゃない!ってことで、なんとなくPink Floydを思わせるポジションだなぁ。劇的な展開、途中の転調、絡み合うロックなギター、幻想的な世界観と、「ヴェル・エール」でやったことはすでにこのときに完成していたと言っても過言じゃないと思う。世界観としてはこちらの方がむしろ好きかな。しかし惜しむらくは、「ヴェル・エール」の方が格段にサウンドが良いのだ!まぁサウンドが厚ければいいってもんじゃないけど、「ヴェル・エール」のアレを聞いてしまうと、なんというか勿体ない気持ちになってしまうのだ…。このオリジナル・メンバーでの再録は絶対にあり得ないという点も、余計に聞きたいという気持ちにさせるのかも。
 10曲目、ラスト「~前兆~」はピアノとドラムのアンサンブル。「死の舞踏」で盛り上がっての「~前兆~」ということで、一種のチルアウトみたいなものか。しかし、ここまで盛り上げてきての、このリラックス具合は見事。アルバム全体としての構成もものすごく練られていると言っていいだろう。

 この名盤を残して、Malice Mizerはインディーズをあとにし、ビジュアル系群雄割拠のメジャー・シーンに乗り込んでゆく。