2013年3月30日土曜日

吸血鬼(1932)

吸血鬼(1932)独仏合作
Vampyr

監督:Carl Dreyer
主演:Julian West
時間:73分

 1932年ドイツ=フランス合作映画。監督はオランダ出身のカール・ドライヤー。そしてほとんどのシーンは映画の舞台でもあるクールタンピエール(Courtempierre)で撮影されたという。また映画のキャストのほとんどは素人の役者で、プロなのは、領主を演じたMaurice Schutz、その娘で吸血鬼に蝕まれる役を演じたSybille Schmitzだけ。主演のアラン・グレイを演じたのはJulian Westとなっているが、それはこの映画の出資者であるロシア系貴族、Nicolas de Gunzburgの変名であり、つまりはパトロンがちゃっかり映画の主役をやっちゃっているのだ。自分で「お金は出すから主演させて」って言ったのだろうか。べつに演技はうまいわけでもないが、それほど演技力が必要とされる役でもないし、また全体の退廃的雰囲気によく合致しているので、結果的にナイスキャスティングだと思う。

 多くの吸血鬼映画がその原作に、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(1897)を据えている一方、この映画はシェリダン・レ・ファニュの作品集『鏡の中をおぼろげに(In the Glass Darkly)』(1872)を原作にしている。これは「第一コリント」13:12
βλέπομεν γὰρ ἄρτι δι' ἐσόπτρου ἐν αίνίγματι, 
というのも、我々はいままさに、鏡を通しておぼろげに見ているのだから。
を基にしている(原文では「中で」ではなく「通して」)。 ドライヤーはこの作品集のなかでも、とりわけ「カーミラ(Carmilla)」と「The Room in the Dragon Volant」を基にしているという。自分はこれら未読なので、どの程度の類似性があるのかは分からないが。

 この映画、そもそもストーリー自体が曖昧模糊としており、しかも撮影そのものが、カメラの1メートルほど前に薄いガーゼをかざし、それを通して撮られたため、画面全体がまるで夢の中にいるようにぼやっとしている。公開当初は悪評紛々で、ドライヤーのキャリアに甚大なダメージを与えてしまった。ヴェネチアでは、観客が返金を求めて暴動にまで発展するありさまだったという。現在はむしろ再評価の機運が高まっている。

登場人物


  • アラン・グレイ

  本作の主人公。彼がクールタンピエールの村を訪れるところから物語は開始する。特技は幽体離脱。領主の娘ジゼルといい感じになり、最後は村を脱出する。基本的には、それほど自己主張のない、「良い人」として描かれている。演じているのはこの映画の出資者ニコラ・ド・ギュンズブール(1904-1981)。フランス出身のロシア系ユダヤ人貴族。若くして映画の出資者になって主演するなんて、凄い人生である。その後はアメリカに渡り、雑誌編集などに携わったようである。ノーブルな顔つきとそこはかとないエロティシズムが漂っているが、彼自身同性愛者であり、この色気はその辺りも関係しているのかもしれない。


  •  領主

アラン・グレイが泊まっている宿屋に彼が訪れたことによって、話は動き始める。しかし、いきなり音もなく他人の部屋に忍び込むとか、この人も大概である。なんでそんなビビらせるような登場の仕方をするんだ!?しかも、意味深な会話を交わした後、「私の死後に開封するように」という包みを置いて去っていくし。初見では絶対信用されないような行動ばかりする。後にアラン・グレイが彼の館を訪れた際に、何者かに撃たれて死亡。映画後半には、自らの敵に復讐するために霊となって(?)一瞬だけ登場。元祖フォースの使い手?


  • ジゼル

領主の娘1。素人の役者で、演技自体は大したことなく、まるでマネキンのようにぎこちないのだが、映画全体の雰囲気と相まって、それ自体異様な雰囲気を醸し出している。叫びこそしないが、基本的に周囲の状況に翻弄されるだけの役柄。終盤誘拐され、監禁されるのだが、何とも言えない無機質なエロスがある。


  • レオーネ

領主の娘2。こちらが姉?登場シーンから寝込んでおり、領主のセリフから、これまでもたびたび傷を負っていた(吸血鬼に狙われていた)ようで、登場はベッドの中がほとんどである。「私汚されてしまったの…」と泣いたあとに周囲を見る目付きの異様さは、さすがプロの役者。最終的には吸血鬼の呪縛から解放されるのだが、そのときにベッドから起き上がる様子もすごかったため、セリフで「解放された」と言われなかったら、またなにか怖いことが起きるのかと邪推してしまった。


  • 医者

領主の館に訪れ、レオーネの看病をしている。一見いい人なのだが、吸血鬼の手下。ジゼルが「なぜお医者様は夜にしか来ないの…?」と召使に聞いたり、謎の老婆と一緒に登場して(これが吸血鬼)、毒薬の瓶を手渡されてニヤニヤしていたりと、いろいろ伏線はある。映画全体のストーリーが分かりにくいため、初見では気付きにくいのだが、初登場時から、実は吸血鬼と行動を共にしている。最後は製粉所のケージに閉じ込められて、上から落ちてくる粉(小麦粉?)に埋まって圧死。


  • 召使

領主の館に仕える、年老いた従僕。ものすごくいい人。しかも、実質この映画を解決した人。領主とその二人の娘に甲斐甲斐しく仕える、朴訥で善良な老人として描かれており、まぁ雰囲気だけの役柄なんだろうなと思っていたら、アラン・グレイが置き忘れた吸血鬼にかんする本(領主の遺品)を読み、吸血鬼の正体を発見し、吸血鬼の墓を掘り返し、退治する(実際に杭を打ち込んだのはアラン・グレイだが)。また、吸血鬼の手下の医者を製粉所に閉じ込め、圧殺するという、無慈悲な処刑も行う。彼がいなかったら、クールタンピエールの村は滅んでいたんじゃないだろうか。


  • 吸血鬼

吸血鬼、マルグリット・ショパン。吸血鬼と言えばドラキュラのイメージが強いなか、女性、しかも老婆の吸血鬼。昔クールパンティエールの村で大量の犠牲者を出したという。領主が遺した本にその事件について書かれていたおかげで、召使はマルグリット・ショパンの墓を突き止めて、その胸に杭を打ち込むことが出来たのだが…。あれ?そうなると、本に書かれていた退治法で実際に退治されたのは誰?あまり細かいことを気にしちゃダメか。医者と退役軍人の二人を従僕として使役しているが、かつては村全体を支配したにしては、なんとも限定的な影響力。

印象的な場面

この映画は雰囲気作りがきわめて巧みである。映画自体の統一感が物凄いのである。冒頭、宿泊した宿屋の壁に掛けられていたタペストリーをアラン・グレイが見るシーンであるが、おそらく「死を忘れるな(Memento Mori)」などをテーマにした絵画がまさに映画とマッチしている。

同様に、アラン・グレイが泊まった宿屋で、二階から不明瞭な声が聞こえてくると思い、様子を見に行ったところ、扉から現れるのがこの老人である。この異様な雰囲気!アラン・グレイもビビりまくって部屋に鍵かけたりしていたが、のっけからこれとは、掴みが強烈である。しかしこの老人、このシーンだけの出演で、基本的に雰囲気要員。

館に行く前に、アラン・グレイが迷い込む城も幻想的な雰囲気を醸し出している。とくに影の使い方がとてつもなく上手い!ここでは退役軍人がベンチに座っているのだが、実は彼の横に座っている影、彼とは別に独立して動いているのだ。その後もダンスシーンが流れるのだが、それも踊っている影が延々と映されるだけ。白黒という映画の特色を最大限まで活かした手法だと思われる。

吸血鬼に襲われたレオーネがシクシク泣き出して、ジゼルたちが心配して覗き込んでからの…この顔!ああ、取り込まれたんだ、と観客に説得するだけの表情である。この時点では、おそらく大方の観客は「これはもう助からないな…」と思うだろう。

有名なシーン。幽体離脱したアラン・グレイが自らの埋葬シーンに直面するという幻想的なシーン。しかしこのシークエンス、普通に物語のメインストーリーの中に組み込まれているので、これ自体夢なのか、それとも現実なのかがハッキリしない(まぁ現実だったらわけわからないことになるのだけど)。1932年の時点で、このような半透明処理が出来たのか、というのも驚き。

誘拐され、監禁されているジゼル。この姿のまま微動だにしない。この人間性の無さ(役者が素人で苦悶の演技が出来なかっただけ、という可能性もあるが)が、ジゼルという役柄に無機質なエロティシズムを付与している。

最終的に脱出して、二人ボートに乗るアラン・グレイとジゼル。この後彼らは岸辺に着いて、それから森の中を抜けていくのだが、その向こうには光が差しており(映画内の時間としても、夜明けが来たということの表現?)、二人の未来にたいする希望が示唆されている。霧のなか、彼方から聞こえてくる声に「アロー」と応える二人の姿は幻想的で美しい。

しかし映画の最後を飾るのは、吸血鬼の手下の医者。彼が窒息死するところで映画は終了するのだ(このシーン自体はそのちょっと前)。惨劇から脱出する、二人の未来に満ち溢れたシーンではなく、製粉所で圧死する敵の死のシーンで映画を締めくくるドライヤー監督の手法は面白い。単なるハッピーエンドではなく、その裏に潜む残酷さが強調される形になっているように思われる。この辺りも、単純なハッピーエンドを好む観客からは余計に思われたのかもしれない。

2013年3月23日土曜日

吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)

吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)ドイツ
Nosferatu: eine Symphonie des Grauens (Nosferatu: A Symphony of Horror)

監督:F. W. Murnau
主演:Max Schreck
時間:94分(版によって違いあり)

 1922年、ドイツ表現主義映画のひとつであり、ホラー映画の元祖のひとつでもある『吸血鬼ノスフェラトゥ』。どのような映画かと思ってみたら、なんとブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』とほぼ同じ。同じドラキュラをモデルにした映画だと、トッド・ブラウニング監督、ベラ・ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ(Dracula)』が存在するが、こちらは1931年。よって、この『ノスフェラトゥ』が実は世界最初のドラキュラ映画と言えるのかもしれない。
 なぜドラキュラという名前でないかというと、権利関係の問題らしい。原作者ブラム・ストーカーの遺族の許諾が下りなかったため、名前や設定、展開をいくつか変えてなんとか映画化にこぎつけたとか。ブラム・ストーカーが亡くなったのは1912年なので、まだまだ彼の直接の親族が生きていた時代なので、無理やりというわけにはいかなかったのだろう。
 製作の経緯は、Prana Film(『ノスフェラトゥ』一作のみの制作会社)のAlbin Grauが第一次大戦時、東欧の農民から聞いた不死人の伝説を基にした映画を作ろうとするところから始まる。ちょうど1897年に出版された小説『吸血鬼ドラキュラ』に目を付けたPrana Filmは、脚本家のHenrik Galenに、原作使用許諾を得ないまま脚本を発注。で、結局許可が得られなかったので、なんとか細部だけチョコチョコ変えて制作したということのようだ。なので、基本的なプロットや登場人物は、『吸血鬼ドラキュラ』とだいたい同じである。

登場人物


  • フッターとエレン

ヴィスボルクの街に住む夫婦。『ドラキュラ』においては、フッター=ジョナサン・ハーカー、エレン=ミナ・ハーカーである。物語はこのフッター(不動産屋)が、雇い主のノックによって、オルロック伯爵のいるトランシルヴァニアに派遣されるところから始まる。そのため、物語の狂言回し的な役割である。
エレンは『ドラキュラ』のミナと同じく、吸血鬼に狙われる役割。しかし、最終的に幸せになるミナと違い、エレンは悲劇的な最期を遂げる。自らの身を犠牲にして吸血鬼を倒そうとする強い女性。
しかし、このフッター、なんとも言えず間抜けである。物語の性質上、フッターが状況を良く理解しないでホイホイ動いてくれなかったら話が進まないので仕方ないのだが…。なんとも間抜け面で締まらない。
ちなみにミナ・ハーカーはアラン・ムーア原作のコミック、The League of Extraordinary Gentlemenの登場人物としても活躍している。


  • ノック

フッターが働く不動産屋のオーナー。『ドラキュラ』におけるいくつかのキャラクターを複合した人物である。オルロック伯爵がヴィスボルクの街に引っ越すための手引きをするということで、不動産業者でジョナサン・ハーカーの雇い主、ピーター・ホーキンズでもあるし、精神病院に入れられている吸血鬼の手下という点からすると、レンフィールドである。このように複数のキャラクターを組み合わせているため、このノック、どうにも支離滅裂なのである。オルロック伯爵をヴィスボルクに呼び寄せようとするのだが、最初の登場シーンで魔術の呪文が書かれた手紙のようなものを読んで邪悪な笑みを浮かべているため、最初っから吸血鬼の手下ということになる。しかしオルロック伯爵が近づくにつれ、その影響で精神に異常をきたし、精神病院に収監される。最後は逃げ出して、街中を市民たちと大捕り物を演じるのだが、また捕まって牢屋のなかに逆戻り。この脱走劇って、オルロックにとって何か利益があったの?しかも手下なのに、主人が近くに来ると精神がおかしくなるなんて…。爺さんなのに、驚異的な体力を有する。


  • ハーディングとその妹

トランシルヴァニアに行くフッターが、妻のエレンを預けていく相手。フッターの友人で、裕福な船主らしい。基本的にはわき役である。『ドラキュラ』ではハーディングがアーサー・ホームウッドで、妹がルーシー・ウェステンラ。『ドラキュラ』では婚約者だったが、『ノスフェラトゥ』では兄妹という設定に変更されている。90分の映画ということで、余計なドラマを省くための設定変更だろうか。フッターからの手紙を、浜辺でたたずむエレンのもとに持って行ったりと、彼女を甲斐甲斐しく世話している。二人でゲートボールのようなものをやっていたりと、兄妹仲は良好。吸血鬼の出番が少ない『ノスフェラトゥ』では、彼らは基本的にオルロック伯爵と絡まない。後半ヴィスボルクの街にペストが流行した際、妹がペストにかかっているような描写があるが、その後は不明。なんで兄妹にしたかなぁ?普通に夫婦でも問題なかったように思うんだけど。

オルロック伯爵
言わずと知れたドラキュラである。言わばタイトル・ロールなのだが、こちらの題名は『ノスフェラトゥ』。まぁ『オルロック伯爵』だとなんの映画か分からないしね。(ノスフェラトゥでも当時のドイツの観客は分かったのか知らないけど)。一般的にドラキュラというとベラ・ルゴシやクリストファー・リーのイメージが強いため、このマックス・シュレック演じるオルロック伯爵、異端のように見えるかもしれないが、実はこっちの方が先。しかも原作でのドラキュラ伯爵はオオカミのような乱杭歯とか書かれており、別に美男子という設定はとくにない。なので、このオルロック伯爵の解釈も、問題ないのである。
トランシルヴァニアの古城からドイツのヴィスボルクに行く(『ドラキュラ』ではロンドン)という流れ自体は同じだが、このオルロック伯爵、ヴィスボルクに着いてから自分で棺桶を家まで運ぶなど、結構アクティブである。しかも、エレンの血を吸っているうちに朝になってしまっているのに気付かず、朝日を浴びて消滅と、結構情けない死に方。まぁこれは、「処女が吸血鬼をして、雄鶏の鬨の声を忘れさせるというのが、唯一の助かる道」という記述を読んだエレンが、自らの身を挺したから、ということなのだが。朝日を浴びたらダメなんだったら、その辺りは注意していて欲しいものである。
ヴィスボルクに向かう船でも、乗組員を全員殺してから、魔術で船を高速で動かすなど、さまざまな能力を持っているのだが、いまひとつ強そうな感じがしない。
彼の存在はペストと強く結び付けられていて、作中でも、オルロック伯爵によって殺された者はペストによって死んだとされ、それが後半のペスト騒ぎにつながっていく。作中の舞台は1838年ということだが、血を吸われて死んだかペストで死んだかどうかぐらい分かるだろ?これは、そもそも東欧の吸血鬼伝説が伝染病と関連して語られていたということと関係しているのだろうか。


  • ブルヴァー教授

食虫植物の研究をしているブルヴァー教授。『ドラキュラ』におけるヴァン・ヘルシング教授に相当。しかし、単体映画にもなったヴァン・ヘルシング教授と違って、このブルヴァー教授、はっきり言っていてもいなくてもどっちでも良いんである。なんせ、フッターがブルヴァー教授を呼びに行って、エレンのもとへ戻ってみたならば、オルロック伯爵はすでに朝日を浴び灰になっており、エレンは虫の息、フッターの胸の中で息を引き取るのだから。このブルヴァー教授、なーんもしてないのである。そのくせ、最後はブルヴァー教授の深刻そうなきめ顔でラスト。登場自体は中盤であり、いきなりの登場というわけじゃないんだけど、その登場シーンでも、延々と食虫植物のことを解説しているだけで、本編のストーリーにまったく絡んでこない。「ほぉ、食虫植物の性質から吸血鬼の弱点とかを調べるのか」と最初は思うが、その話はそこで終わり。あとに全然響いてこない。字幕では「Paracelsian」と説明されているが、パラケルスス学者?つまり錬金術師ということだろうか?いかにもドイツっぽい設定だが、設定倒れで本編にまったく活かされていない残念な人物。

印象的な場面

最初トランシルヴァニアに到着したフッターが宿屋で「オルロック伯爵のところへ行くんだから、はやく夕飯もってこい!」と言うと、みんなギョッとした顔。明らかにオルロック伯爵を恐れている。宿屋の主人は「夜は外出しちゃいけません。人狼が出ますよ」と警告し、フッターも納得がいかないながらその忠告に従い、その日は宿に泊まるのだが、その後のシーンで出てきたのがこれ。オオカミ…なのか、これ?前足のあたりに縞々の模様があるんだけど、あまり大きそうには見えない。ヨーロッパのオオカミってこんな感じ?

ヴィスボルクに到着したオルロック伯爵が、購入した空き家まで自分の棺桶を運んでいく。もちろん夜中なのだろうが、当時の撮影技術上の制約で仕方ないのだろうが、明らかに昼間の撮影なため、ものすごくシュール。昼間誰もいない街をトボトボと自分の棺桶を担いで歩く伯爵。DIYの精神に満ち溢れている。港に着いたらもう一度棺桶の中に入って、そのまま郵送してもらえばよかったのに。船員全員殺しちゃうから、こんな面倒なことしなきゃダメな羽目になってしまうんだと思う。というか、ノックは召使なら、このタイミングで脱獄して、ご主人さまの棺桶運ばなきゃダメだろう。配下に恵まれないオルロック伯爵。

群衆から逃げるノック。こいつ結局なにがしたかったのか…。オルロック伯爵のもとへ行こうとしたが、結局阻まれたってこと?ペストが蔓延という記事を見て脱獄を決行したので、彼なりの目的はあったのだろうが、意味不明である。途中からは「ご主人様…!」しか言わなくなるし。急激なIQの下がりようである。結局前半と後半で別人を組み合わせてるからこんな悲劇が生じたわけで、ノックはシナリオの犠牲者とも言える(もう一人は、見せ場を全部削られたブルヴァー教授)。で、狂ってからのノックだが、この身体能力がものすごい。ペストの原因の犯人捜しに疑心暗鬼になった住民に追いかけられるのだが、ご覧のとおり屋根の上に上っている。しかも、その後も裏に回って屋根から降りるなど、ものすごく身のこなしが軽いのである。身体能力が高いのにバカだから、その能力が全然活かせていない。住民と追いかけっこを繰り広げただけで、結局また捕まってるし。オルロック伯爵はこいつの教育を何とかするべきだった(前半の普通の知能から後半の狂人化への落差が激しすぎ。もっとバランスを取らなきゃ)。

エレンの血を吸うオルロック伯爵。この映画は白黒であるが、その白黒という性質を最大限活かした影の使い方が素晴らしい。影といえば、エレンのもとに忍び寄るオルロック伯爵や、怯えるエレンの体に覆いかぶさるオルロック伯爵の影などのシーンが有名だと思うが、このシーンも素晴らしい。暗闇の中に浮かぶオルロック伯爵の禿げ頭と指。エレンの顔の辺りは陰になって見えないというのが、また想像力を掻き立てる。このシーンはランプという光源があり、また陰影を際立たせるため、窓の外は暗いのだが、先にも挙げたように、その他の屋外シーンは昼間なのがモロバレなので、興が削がれること甚だしい。
朝日を浴び消滅するオルロック伯爵。乙女の生き血を飲むのに集中しすぎていて、雄鶏の鬨の声を忘れてしまい、そのまま消滅してしまう。そんな忘れるものか?しかも夜中から明け方までって、いったいどんだけ血を吸っていたんだ?もしかして一度に少量しか飲めないのだろうか。そういえばなんだか小食っぽいし、もしかしたらオルロック伯爵、食が細いのかもしれない。もしこの吸血鬼が大食いだったら、夜中のうちにとっとと全部血を吸い終わって、隠れ家に帰っていただろう。しかしこのシーン、どうしているのか分からないが、1922年でもこのような特殊撮影が可能だったんだ、と驚く。まぁ静止画で見ればすごいのだが、動画で見ると一瞬で消えてしまって、なんとなく物足りないのも確か。もっと長尺で見せてくれれば、クライマックスの盛り上がりがもっとあったのではないかと思う。

2013年3月19日火曜日

Devil Doll, インタビュー要約(8)


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  • Devil Dollにはさまざまな音楽の影響が見られるが、それでもDevil DollはDevil Doll以外の何ものでもない。実際、Devil Dollのアルバムは同じことを繰り返していないのでは?
 Devil Dollは、Mr. Doctorの忠実な鏡であるため、いかなる音楽ジャンルにも属していないという。それは映画でも、模造品でも、装飾でも、構造でもない。誰かを喜ばせたり、売り上げのためにやっているのではない。彼は恰好を取り繕う時間も興味もないし、そのようなことをする者たちを軽蔑するという。彼はつねに、以前の限界を突破しようとしている。もしメートル単位で創作しようとしたならば、彼はセンチメートル単位で創作出来ればと考えている。つねに新たな拡大鏡で感覚を再調節しようとしているのだ。決まったやり方に乗っかる危険は、Mr. Doctorに無縁である。彼はつねに嬉々として困難を受け入れているのだという。

  • 現在どのような音楽を聴いているのか?
 Mr. Doctorは現在テレビを持っていないし、新聞も雑誌も読まないため、最新の音楽事情が分からないという。しかし彼の手許には40,000枚のレコードがあり、この惑星(ほかの惑星も)のあらゆる場所からの刺激的な音楽を発見しようとしている。プロダクションの価値や、テクニックの巧拙はそれほど重要でなく、素晴らしいアイディアはしばしばもっとも遠く離れた場所で撮られた無名のレコードのうちに見出されるという。

  • つぎの活動は?また音楽活動をするのだろうか、それとも違うジャンルに移るのだろうか?
音楽とDevil DollはもちろんMr. Doctorの核心であるが、ほかにも近年、Music for the Eyesという本(Bernard Herrmannの映画音楽の向こう側にある「化学反応」を明らかにしている)と、「聖書(The Bible)」と呼ばれる、イギリスのインディペンデント系音楽にかんする1200ページの本(1の二冊を出版した。また彼は現在、Fear of Music - Music of Fearという本(恐怖や不快感を催し得る、千以上もの音楽作品を分析している)に取り掛かっている。

          

(1)この本は、Mr. DoctorことMario Pancieraが2007年に出版した、45 Revolutions (A definitive discography of UK punk, mod, powerpop, new wave, NWOBHM, and indie singles 1976–1979, Volume I)を指していると思われる(全1190ページ)。

Devil Doll, インタビュー要約(7)


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  • 『怒りの日(Dies Irae)』のリリース後、Devil Dollの活動を辞めたのは何故か?今後活動を再開する予定はあるのか?
 Mr. Doctorは『怒りの日(Dies Irae)』の直後、『怒りの日』のセッションから90分ぶんの音楽を取り入れたサウンドトラックを持つ二作目のサイレント映画の制作に取り掛かったという。しかしこの計画は、彼がJean Epsteinによる1928年のサイレント映画、『アッシャー家の崩壊』へのサウンドトラック制作に取りかかったため、中止されてしまった。このプロジェクトは録音されたが、彼がSlovenian National Cinematiqueとの協働と打ち切ることを決定したため、披露されることはなかったという。以来10年間、Devil Dollの曲を作曲し録音することは続けているのだが、Mr. Doctorはそれらをリリースすることに興味を失ったようだ。新たな作曲による驚きはいまだに作曲の主たる動機であり、休息は不要だということである。

  • Devil Dollは、プログレ、メタル/ハードロック、さらにはクラシックのファンまでも惹きつけている。これは素晴らしいことではないだろうか?
 メタル、ゴス、プログレ、クラシック、それがなんであれ、あらゆる音楽には特有の魅力がある。たとえば、メタルはエネルギーを、ゴスは雰囲気を、クラシックやある種のプログレは構造を強調しているように。しかしMr. Doctorによれば、本当に大切なのは、音楽そのもの、そして感覚を超越したその魔術的な力だという。音楽自体は、その文法にかかわらず、素晴らしいか素晴らしくないかである。問題はリスナーの感覚にあるという。聞きなれない、過酷な音楽へとその地平を拓くか、それとも彼が慣れ親しんだ無知の領域に留まるかは、聞き手しだいなのだ。古代ヘブライ語において、「愛」と「知」は同じ言葉であったという。というのも、きみは「知っている」もののエネルギーやバイブレーションしか、愛したり味わったり理解したり、それに満たされたりすることは出来ないのだから。多くの者たちは彼らの音楽的地平の狭さを隠そうとするが、Devil Dollが戦っているのは、いつだってこのような者に対してだという。

2013年3月18日月曜日

Devil Doll, インタビュー要約(6)


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(承前)

『宗教冒涜(Sacrilegium)』

『宗教冒涜(Sacrilegium)』はDevil Dollのアルバムのなかで、もっとも強烈で、閉所恐怖症的なアルバムであるという。これはユーゴスラビア戦争のさなかにレコーディングされている。そのため、グループの半数を占めるイタリア人メンバーのうちでユーゴ国境を渡って来ようとしたのは、ドラマーのRob DaniとピアニストのFrancesco Cartaだけであった。ほかの者たちはレコーディング以前に辞めてしまったが、Michele Fantini Jesrumuだけは最後に参加しているという。彼はMr. Doctorと中等学校で8年間同級生であり、伝説的なフランスのオルガン奏者、Jean Guillouの弟子で、素晴らしいパイプオルガンの即興演奏者であった。『宗教冒涜』のストーリーは第二次大戦前のヨーロッパが舞台であり、そこに漂う退廃、疑惑、切迫した死といった雰囲気は、当時のユーゴスラビアの街中の空気と似ていないこともなかったと彼は言う。この設定は、当時のMr. Doctorが置かれた、自滅的な個人的苦悶(suicidal personal anguish)を反映しているようだ。そのため、彼のボーカルは、その後とても再現出来ないような、絶望に満ち溢れたものになったという。

『宗教冒涜(サウンドトラック・バージョン)(The Sacrilege of Fatal Arms)』

希薄な人生の慰めとして、Mr. Doctorは、The Sacrilege of Fatal Armsというサイレント映画を書き、撮影した。そこには、『宗教冒涜』から取られた(リミックスされた)、ドライヤー的な交響曲がサウンドトラックとして付けられ、さらに映画の雰囲気に合うように、30分の追加素材が録音されたという。この映画とサウンドトラックは、彼らが演奏するドリナ行進曲(1(Drina March:これは先のユーゴスラビア戦争で、もっとも苛烈な政党のアンセムになったという)で幕を開ける。

『怒りの日(Dies Irae)』

The Sacrilege of Fatal Armsを書き上げた後、Mr. Doctorは『怒りの日(The Day of Wrath)』と名付けられるはずだったアルバムをレコーディングし始めるが、レコーディング途中でスタジオは全焼してしまう。この原因は、いまだに戦後の闇に隠れたままであるという。Mr. Doctor自身は無事であったが、テープは焼けてしまい、ミックスされていないカセットだけが生き延びることが出来た。結局別のスタジオで再開しなければならないことになったという。つまり、Dies IraeThe Day of Wrathの残骸から蘇ったのである。このアルバムのコンセプトは二段階で成り立っているという。一つ目は、愛、生命、死後の生などにかんするパラドックス的な哲学的問題(愛する人の永遠の命を確約するために、彼女を殺さなければならないなど)にかんしてである。もう一つは個人的なレベルである。Mr. Doctorの魂を長年はぐくんできたあらゆる影響が、500以上もの引用、参照、手がかりとなって、歌詞、アートワーク、音楽のうちに紛れ込んでいる。歌詞については、殺害の描写(「そして処女の刃が口づけし、お前の白い喉を解き放つ(and the virgin blade kisses, freeing, your white throat)」)や、オーケストラ終了後の、拘束衣を着た男の最後の独白などが気に入っているという。一方音楽的には、Mr. Doctorはいまだに「インキュバス(Incubus)」の部分が気に入っているというが、『怒りの日』のために収録されたマテリアルは、マスター・テープで700分以上あり、時間に直すとたった数分の「インキュバス」の部分も、大量の素材の中から、悪夢を表現するために、わざと無造作に、ちぐはぐに素材を選び、組み合わせたものであるという。

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(1)ドリナ行進曲(March of the Drina):第一次大戦時の、セルビアの愛国歌。スタニスラフ・ビニチュキ(Stanislav Binički)作曲。第一次大戦時、ドリナ川はオーストリア=ハンガリー軍とセルビア軍を分ける境界線でもあり、チェルの戦い(1914年8月16-19日)により、数に勝るオーストリア=ハンガリー軍を撃破したセルビア軍の勝利の報を聞き、ビニチュキが作曲した。

Devil Doll, インタビュー要約(5)


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  • あなたのアルバムのコンセプト、テーマ、示唆などを伝えてくれないだろうか?


『死せる少女に捧ぐ(The Girl Who Was ... Death)』(1989)


『死せる少女に捧ぐ(The Girl Who Was ... Death)』は、実質上のデビュー・アルバムである。というのも、本当のデビュー・アルバム、The Mark of the Beastはたった一枚しかプレスされておらず、Mr. Doctor自身がそれに手書きのアート・ワークを書いのだから。『死せる少女に捧ぐ』で最も印象的な部分(ギターソロに続いて「お前は誰を探しているのか…お前は何を見つめているのか…(Who Are You Looking For…What Are You Looking At…)」というセリフと、素晴らしいヴァイオリン・ソロが入る部分)は、The Mark of the Beastから取られている。両アルバムは(歌詞が異なっているとはいえ)、基本的に同じ音楽である。但し、『死せる少女に捧ぐ』で音楽だった部分は、The Mark of the Beastではセリフだった部分であり、The Mark of the Beastで音楽だった部分は、『死せる少女に捧ぐ』でセリフになっているという違いはあるのだが。
スタジオでの一発撮りという形のため、『死せる少女に捧ぐ』は、Devil Dollのアルバム中、もっともロック的要素が強いものになっているという。大まかな元ネタは、1967年のイギリスのテレビドラマ、『プリズナーNo.6(The Prisoner)』である。『プリズナーNo.6』は、主演のパトリック・マクグーハンが、すべてをコントロールしていたという点で、Devil Dollととてもよく似通っているのだという。

『絞首台(Eliogabalus)』(1990)


『絞首台(Eliogabalus)』はほぼすべてが、Devil Dollのイタリア人部門によって演奏されている。このアルバムは、タイトルチューンと、元々は「精神の黒き穴(The Black Holes of the Mind)」と言う名前だった、'Mr. Doctor'という曲が収録されている。この曲は、尊敬されるべき「博士(Doctor)」である兄からレイプされていた(その兄は後に鉄道自殺した)と告白したDevil Dollのファンの話を基にしているという。歌詞で描かれている犯罪のうち、「私の兄(my brother)」を殺すというのは、Mr. Doctorが見た夢が元であり、そこには母である「私に斧をくれた名状しがたき者(unnameable who gave me the axe)」も出てくる。ほかのものは、彼が犯罪法学の博士を学んでいたときに知った事例を基にしているという。'Eliogabalus'という曲は、ローマ皇帝へリオガバルス(1に因んでいる。彼は自らの美貌を保つために数々の逸脱行為をしたために殺害され、元老院は彼の痕跡を残さないように指示したため、しばらく存在すらほとんど知られていなかった。Devil Dollにおいて、Mr. Doctorは、ヘリオガバルスを、鏡の向こう側から世界を見ている倒錯者として描こうとしたという(そしてMr. Doctor自身も、その位置にいるという)。「精神の黒き穴」は、Devil Dollの曲のなかで唯一、スタジオ録音される前にライブで演奏されていた曲であり、最終部はレコーディング・スタジオの真上にあるバーで真夜中に録音された。そのため、煙草を買いにきた客に店員が挨拶している声が聞こえる。「精神の黒き穴」のレコーディング時、Mr. Doctorは、その前日に完成した'Eliogabalus'も同時に録音しようとしたので、'Eliogabalus'はリハーサルされなかったという。しかもボーカルパートをどのように演じれば良いか定まっていなかったにもかかわらず、時間的余裕がなかったため、ほとんど即興で演じられたという。

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(1)ヘリオガバルス(203-222):ローマ帝国第23代皇帝(在位:218-222)。数々の暴君を数えたローマ皇帝のなかでも、断トツに「史上最悪の皇帝」の呼び名をほしいままにしている。性的な倒錯が数多く伝えられており、両性愛者、またはトランスジェンダーであった可能性もある。自らに女性器を作る手術をしたがっていたとも言われる。また、宴席に招いた客の上に大量の薔薇の花びらを落として窒息死させる「薔薇刑」でも知られるが、信憑性は疑われる。しかし、そのスキャンダラスな短い人生のおかげで、さまざまな創作作品に取り上げられている。

Devil Doll, インタビュー要約(4)


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  • 歌詞については、どのような影響を受けているのだろうか?文学、哲学、伝統、宗教などの影響があるように思われるが?
Mr. Doctorは、音楽を作るさい、まず歌詞から作るという。歌詞がプロジェクト全体でもっとも複雑で、繊細で、困難な側面だという。言葉には「音」と「意味」の二つの要素が含まれている。よって、「言葉の音(word-sound)」を組み立てる行為は、単なる作曲行為よりも厳密でなければいけないし、骨の折れることであるようだ。またMr. Doctorは、「音は裸である(words are naked)」とも言っている。どんなに巧妙なオーケストレーションや素晴らしいアレンジがあっても、悪い歌詞は、その空虚さを露呈してしまう。また彼は、芸術において、コンセプトが出発点であり得るということを信じている。但し、それはいかに魅力的であろうとも、本質的には良くできた装飾に過ぎない。構造的になってしまったらお終いだ、と彼は言う。つまり、コンセプチュアル・アートとは、相矛盾する用語なのだ。芸術において、知性ほど馬鹿げたものはないという。というのも、芸術を構成したり、誰かの芸術を吸収するためのメカニズムは、愛や信仰や魔法と同じく、演繹法でなく、帰納法に支配されているのだから。帰納法とは、詩作における根本的な要素であり、認識の未知の領域を拓くものなのだという。彼はしばしば、より「深みに嵌りたい」者たちのために、引用句を歌詞のなかにちりばめることを認めている。そのあるものは、『怒りの日(Dies Irae)』におけるエドガー・アラン・ポー(1、エミリー・ディキンソン(2、エミリー・ブロンテ(3のように、スリーブに明記してある場合もあれば、フランツ・カフカ(4、アンブロース・ビアス(5、ライナー・マリア・リルケ(6、ルイジ・ピランデッロ(7のように、なかなか分からないものもあるという。

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(1)エドガー・アラン・ポー(1809-1849):アメリカの作家。怪奇小説、推理小説、SF小説など、さまざまな分野の短編を書いた。意外にも長編は一作もなく、唯一の中編『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』は怪奇的な海洋小説であり、作者の死後、ジュール・ヴェルヌによって続編が書かれた。その謎めいた死はいまだに人々の想像力を掻き立てている。

(2)エミリー・ディキンソン(1830-1886):アメリカの詩人。生涯ほとんど家のなかに籠り、個人的な詩を書き続けていたため、生前は無名であった。死後大量の手綴じ本が発見され、出版された。

(3)エミリー・ブロンテ(1818-1848):イギリスの作家。ブロンテ三姉妹の一人。唯一の詳説『嵐が丘』を残しただけで、30歳にて病死。

(4)フランツ・カフカ(1883-1924):オーストリア=ハンガリー帝国(現チェコ)生まれの作家。作品はドイツ語で書かれている。生前は『変身』など一部の作品のみが知られていたが、『失踪者』、『審判』、『城』など、死後刊行された長編小説により名声を博す。肺を病み年金生活になるまで、保険局員として働いていた。

(5)アンブローズ・ビアス(1842-1913(?)):アメリカの作家、ジャーナリスト。アイロニカルな『悪魔の辞典』で知られる。1913年、メキシコ、チワワ州にある洞窟に入り、失踪。

(6)ライナー・マリア・リルケ(1875-1926):オーストリア=ハンガリー帝国(現オーストリア)の詩人、作家。小説『マルテの手記』が有名。ドイツの代表的な詩人の一人。

(7)ルイジ・ピランデッロ(1867-1936):イタリアの劇作家、詩人。ノーベル文学賞受賞。

Devil Doll, インタビュー要約(3)

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(承前)

さらに、アーサー・ブリス(1891-1975)、ウィリアム・オルウィン(1905-1975)、アーノルド・バックス(1883-1953)、ベンジャミン・フランケル(1906-1973)、ハンフリー・サール(1915-1982)といった、20世紀イギリスの作曲家たちは、Mr. Doctorを、サウンドトラックの世界の深みへと導いていった。とりわけ『邪魔者は殺せ』(オルウィン)(1、『来るべき世界』(ブリス)(2、といった映画のスコアは不滅の傑作であると言える。また彼は、バーナード・ハーマン(3を除き、アメリカの映画作曲家にはそれほど高い評価をしていないようである。ヨーロッパの作曲家のなかでは、エンリコ・モリコーネ、とりわけ彼のWho saw her die?/ Chi l'ha vista morire?(4というやや無名の作品を高く評価している。また、ニーノ・ロータでは、『フェリーニのカサノヴァ』を高く評価し、そのなかでもIl Duca Di Wurtenbergという曲を、もっともDevil Doll的な曲であるとしている(5
 またロックについて言えば、それはロックの持つ有効性(effectiveness)がもっとも大きな影響を与えたと、Mr. Doctorは語っている。それはあたかも形成外科手術のメスのように、直接核心に辿り付く。彼は傾倒しているロックとして、Teddy and His Patchesによる60年代のシングル、Suzy Creamcheeseを挙げている(6。またArthur Leeが、彼のバンドLoveの第三作Forever Changesのために書いた曲や(7、いくつかのプログレの名盤、キング・クリムゾン『レッド』(8、ピーター・ハミルのアルバムChameleon In The Shadow Of The Night収録の'(In The) Black Room/The Tower'(9、そして日本のJ. A. シーザー『身毒丸』(10を挙げている。

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(1)『邪魔者は殺せ(Odd Man Out)』:1947年のイギリス映画。監督はキャロル・リード。

(2)『来るべき世界(Things to Come)』:1936年のイギリスSF映画。原作はH. G. ウェルズ自身。監督はウィリアム・キャメロン・メンジーズ。

(3)バーナード・ハーマン(1911-1975):アメリカの映画作曲家。ヒッチコック映画への参加、『市民ケーン』などの映画の作曲で知られる。『タクシードライバー』が遺作となった。

(4)Who saw her die?/ Chi l'ha vista morire?:1972年のイタリア映画。ジャッロ(ショッキングな演出を多用した犯罪もの)映画。Mr. Doctorはこの音楽が「背筋を凍らせるような子供のコーラス」に基づいていると説明している。

(5)『フェリーニのカサノヴァ』:1976年のイタリア・アメリカ合作映画。稀代の女性遍歴家カサノヴァの生涯を描いている。

(6)Teddy and His Patches:Teddy Flores Jr.によって1964年(一旦解散、1966年再結成)、サン・ホセで結成された。Patcheというのは、Floresが癌で失った片目に眼帯をかけていたからである。Suzy Creamcheeseは1967年発売の彼らのシングル。Suzy Creamcheeseという名前は、Frank Zappa & Mothers of Invasion, Freak Out!収録の'The Return of the Son of Monster Magnet'冒頭の語りから取られている。


(7)Love:アフリカ系アメリカ人Arthur Lee(1945-2006)が中心となって結成されたフォーク、サイケデリック・バンド。Forever Changes(1967)は彼らの最高傑作としても名高い。

(8)キング・クリムゾン:言わずと知れたプログレッシブ・ロックの元祖にして王者。バンドというよりもむしろ、ロバート・フリップのソロ・プロジェクト化している。アルバム『レッド(Red)』(1974)は彼らの最高傑作とも言われ、またこのアルバムでキング・クリムゾンは終わったと考えているファンも多い(実質上のラスト・アルバム)。へヴィ・メタルの元祖とも言われる。


(9)ピーター・ハミル(1948-):プログレバンド、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターの創始者。Chameleon In The Shadow Of The Night(1973)はソロになってからのアルバムである。


(10)J. A. シーザー(1948-):劇音楽の作曲家として有名。寺山修司主催の『天井桟敷』に参加し、数々の音楽を手掛ける。寺山修司の映画作品の音楽も担当している。『身毒丸』は日本プログレ史、日本アングラ音楽史に残る名盤。

Devil Doll, インタビュー要約(2)

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  • あなたの音楽には、ロック/メタル、プログレ、クラシック、サウンドトラックなどの影響があるように思われるが、どのようなものから音楽的影響を受けているのだろうか?


 Mr. Doctorの母親はクラシックの素養があるピアニストで(プロであったのかどうかは不明)、彼の幼少期の音楽的傾向の指針となった。それはとりわけベートーヴェンであったという。幼いMr. Doctor少年はステレオ・セットのあるダイニング・ルームに座り、母親が音楽をかけるのを聞いていたというが、そこで彼女はつねに明かりを消し、それはあたかも、音楽と光が共存不可能なようであったという。彼は目を閉じると、ベートーヴェンのサウンドトラックが付けられた映画のなかにいるようだったと回想しているが、そこでベートーヴェン『交響曲第7番』第2楽章を挙げている(1
 但し、彼の母親はそれほど趣味の範囲を広げようという人間ではなかったようで、クラシック趣味も、バッハ、モーツァルト、ブラームス、ヴィヴァルディなどに限られていたようである。彼はその後、ドヴォルザーク『交響曲第9番』(2、ホルスト『惑星』(彼によれば、「火星」はハード・ロックの元祖である)(3、サミュエル・バーバー『弦楽のためのアダージョ』(4に傾倒してゆく。またDevil Doll開始時に嵌っていたのは、ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番』、『ムツェンスク群のマクベス夫人』(5、プロコフィエフ『アレクサンドル・ネフスキー』(6、ベラ・バルトーク『管弦楽のための協奏曲』(7、チャールズ・アイヴズ『交響曲第4番』(8などであり、また一方で、ペンデレツキやルトスワフスキによって(9、音色の世界への興味が増進されたとも語っている。

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(1)ルードヴィッヒ・ベートーヴェン(1770-1827):神聖ローマ帝国の作曲家。日本では「楽聖」とも呼ばれる。毎年暮れの「第九」は、「日本だけの」風物詩である。『交響曲第7番』は、ベートーヴェンの交響曲のなかでは明朗快活な曲であり、さまざまなテレビや映画にも使われている。但し、交響曲の文法的には「緩徐楽章(ゆったりとした楽章)」になることの多い第二楽章はゆっくりしており、Mr. Doctorが「好戦的で、葬式のような(martial, funeral-like)」と感じたのも無理からぬことである。


(2)アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904):オーストリア帝国(現チェコ)の作曲家。
『交響曲第9番』(1894)は彼の数多くの楽曲のなかでも最も有名であり、「新世界より(From the New World)」という副題が付いている。ここで言う「新世界」とは、アメリカ合衆国のことであり、アメリカ滞在時に、新世界から故郷ボヘミアに向けて書かれた曲である。第二楽章Largoが、のちに『家路』や『遠き山に日は落ちて』などの歌詞が付けられ、独立した曲として人気を博す。


(3)グスターヴ・ホルスト(1874-1934):イギリスの作曲家。組曲『惑星(The Planets)』(1914-1916)は彼の代表曲。発表当時は大人気を博したが、一時期は表面的な曲として低評価が下されていた。近年また再評価されている。


(4)サミュエル・バーバー(1910-1981):アメリカの作曲家。『弦楽のためのアダージョ(Adagio for Strings)』(1938)は『バーバーのアダージョ』とも呼ばれるほど有名である。テレビや映画、そしてニュースなどにもよく使われている有名曲。


(5)ドミートリィ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ロシア・ソ連の作曲家。暗い曲が多く、『交響曲第5番(通称:革命)』などが有名だが、デビュー時はモーツァルトの再来と呼ばれた。ロシア出身の作曲家がソ連成立後、数多く亡命してゆくのに対し、彼はずっとソ連の作曲家であり続けた。そのため、生前は「体制の御用作家」として批判を浴びていたが、死後様々な政府との軋轢が明らかになるにつれて、西側諸国での再評価がなされた。『弦楽四重奏曲第8番(String Quartet No.8)』(1960)は15曲残されたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のなかでも、もっともパーソナルなものと言われる。『ムツェンスク群のマクベス夫人(Леди Макбет Мценского уезда)』(1934)は、ショスタコーヴィチの数少ないオペラ作品のひとつ。スタリーンに激怒されたため、事実上ソ連では上演禁止となっていた。


(6)セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953):ロシア(現ウクライナ)、ソ連の作曲家。海外生活が長く、またバレエ、映画音楽など数多くのジャンルに作曲を行った。ジダーノフ批判にさらされるなどもしたが、総じて体制に応じて作風を変えるなどの転換が上手かった。『アレクサンドル・ネフスキー(Александр Невский)』(1938、1939)は、1938年公開の、エイゼンシュテインによる同名の映画のために書かれた曲を、1939年にカンタータ用として再編集したもの。


(7)ベラ・バルトーク(1881-1945):ハンガリーの作曲家。『管弦楽のための協奏曲(Concert for Orchestra)』は1943年作曲の、五楽章形式の楽曲。

(8)チャールズ・アイヴズ(1874-1954):アメリカの作曲家。『交響曲第4番』(1910-1916)は、アイヴズの最高傑作としても、またそのあまりにも巨大な構成によっても知られている。

(9)クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)、ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-1994):ともにポーランドの作曲家。

Devil Doll, インタビュー要約(1)

Devil Doll公式ページに、『Burrn!』2008年10月号のインタビューが転載されている。
Devil Doll自体の活動は1996年『怒りの日(Dies Irae)』以降中断しているわけで、実に活動停止以来、10年ぶりの新情報ということになろう。
彼にたいするインタビューの要約を、いくつか載せていくことにしたい。
本来の記事は日本語だったのだろうが、以下は英語版からの重訳であることをご了承戴きたい。

  • Devil Dollの活動のコンセプトの基になったのは?
Mr. Doctorは主なインスピレーションの源として、20~30年代の映画、とくにCarl DreyerのVampyr(1932)(1、Tod BrowningとLon Chaneyによる作品群(2、またF. W. Murnau監督(3Faust(1926)、Sunrise(1927)、Pabst監督のThe Love of Jeanne Ney(1927)、Diary of a Lost Girl(1929)(4、Dupont監督のVariety(1925)(5を挙げている。
 これらの題材が、後に幻のファースト・アルバムThe Mark of the Beastにつながっていく。
 ここで活躍したのが、voice-instrument(ボイス・チェンジャーみたいなもの?)であり、まるでSprachegesangのように歌ったり、うなったり、震え声を出したりすることが出来たという。このため、スタジオでの編集なしに、自分の声を加工することが可能になったという。そして彼が参考にしたのが、ロン・チェイニーであり、『ノートルダムのせむし男』のカジモドや、The Unknownの足のない男や(6The Unholy Threeにおける二役などの、徹底した役作りであった。
 Mr. Doctorはバンドを集めるときに、
人間は、彼が理性に支配されている程度よりも偉大になることは在りそうもない。偉大さを達成出来る者はほとんどいないのであり、もし幻影に支配されているのでなければ、芸術においてそのような者はまったくいない。
(A Man Is The Less Likely To Become Great The More He Is Dominated By Reason. Few Can Achieve Greatness, And None In Art, If They Are Not Dominated By Illusion)
という広告文を出した。その後イタリアやユーゴスラビア(現スロベニア)からミュージシャンが集まってきて、Devil Dollが形成されたという。Devil Dollという名前は、トッド・ブラウニング監督、1936年の映画The Devil-Dollから取られている(7。但し、残念なことに、6年前に亡くなっているロン・チェイニーは、この映画に参加していない。

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(1)カール・テオドール・ドライヤー(1889-1968):デンマーク出身の映画監督。日本では『裁かるるジャンヌ』の監督として有名。映画『吸血鬼(Vampyr)』はレ・ファニュの短編In a Glass Darkly(1872)を基にしたものだという。(映画そのものはパブリック・ドメインのため、Youtube上で本編全体を見ることが出来る)『吸血鬼』にかんする記事

(2)トッド・ブラウニング(1880-1962)とロン・チェイニー(1883-1930):トッド・ブラウニングは映画『フリークス』で有名な監督。ロン・チェイニーは映画初期の怪奇俳優。

(3)フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ(1888-1931):ドイツの映画監督。一般的には『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の監督として有名。『吸血鬼ノスフェラトゥ』にかんする記事


(4)ゲオルグ・ヴィルヘルム・パープスト(1885-1967):オーストリア出身、ドイツの映画監督。Mr. Doctorがここで挙げている映画も原題はドイツ語であり、それぞれ、Die Liebe der Jeanne NeyTagebuch einer Verlorenenという題である。

(5)エヴァルト・アンドレ・デュポン(1891-1956):ドイツの映画監督。ドイツ映画界の祖の一人ともされる。空中ブランコ芸人を題材にした映画Varietyは、原題Varieté、またはJealousyとしても知られる。


(6)知られぬ男(The Unknown)(1927):Mr. Doctorは「足のない男(the legless man)」と言っているが、ロン・チェイニーがこの映画で演じた役は、「腕なしのアロンゾ(Alonzo the Armless)」という役柄である。Mr. Doctorの記憶違いか。

(7)The Devil-Doll(1936):トッド・ブラウニング監督のアメリカ映画。

2013年3月17日日曜日

Devil Doll, "The Girl Who Was ... Death"

Devil Doll, The Girl Who Was ... Death, 1989
デヴィル・ドール『死せる少女に捧ぐ』1989年


 スロヴェニアの変態的シアトリカルバンド、Devil Dollの第一作である。直訳すると「死…だった少女」になるだろうか。ちょっと日本語に直しづらいので、『死せる少女に捧ぐ』というのは、意訳ながらなかなか優れていると思う。正確なことを言えば、これはファースト・アルバムでなく、実はこの前にThe Mark of the Beastというアルバムが作られているようであるが、それは一枚しかプレスされておらず、バンドの主催者Mr. Doctorの手許にあるらしい。よって、実質的ファースト・アルバムと言っていいだろう。
 ちなみにこのアルバムは、1967放送のイギリスのテレビドラマ、『プリズナーNo.6(the Prisoner)』(全17話)をベースにして作られているらしい(海外のDevil Doll研究ページにも、そう書かれている)。さらに言えば、The Girl Who Was ... Deathというタイトルも、『プリズナーNo.6』第15話、'The Girl Who Was Death'から取られているようである。

 またこのアルバムはタイトル・トラック一曲のみの収録となっており、一曲で1時間という長さである。しかし音楽そのものは38分で終了し、あとは20分の沈黙が入り、その後、このthe Prisonerのセリフが2分ほど収録され、アルバムは終了する(ちなみにこのセリフは、アイアン・メイデンのThe Number of the Beastに収録の、そのまんま'The Prisoner'という曲にも使われている)。だから1時間と言いながら、曲としては38分と考えてもいいだろう(それでも長いけど)。もちろんこの20分の沈黙も、なにか意図があるのだろうが、ちょっと間延びするのも確かである。
 まぁ、この「長尺の音楽+沈黙+セリフ」というのは、彼らの三作目『宗教冒涜(Sacrilegium)』にもそのまま受け継がれるわけで、Devil Dollの基本スタイルのひとつが、ここで確立されているとも言える。

 曲そのものは、Mr. Doctorによる、歌とも語りともつかない朗読的なボーカルで展開していくのであるが、『宗教冒涜(Sacrilegium)』に比べると、ややロック寄りが強いように思われる。もちろん、おどろおどろしいボーカルの畳み掛けや、神秘的な歌詞などは共通しているのだが、ギターやドラムなどの楽器が、ロック色を強めているのだろうか。また、途中で戦争映画的な効果音が入っていた『宗教冒涜(Sacrilegium)』に比べると、それほどSE的なものは使われておらず、ストリングスやピアノが使われているとはいえ、まだ「ロック」と分類することは十分出来るように思う。
 もちろん曲そのものを聞いていても楽しめるのだけれども、このアルバムの基になっているというドラマ『プリズナーNo.6(The Prisoner)』を見れば、もっと深く理解することが出来るのだろうか…?



ビートルズ『サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』Beatles, "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"

Beatles, Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band, 1967
ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』1967年


 説明不要のモンスターバンドの、モンスターアルバムである。ビートルズは現代ロックのさまざまな分野にイノベーションを起こしてきたが、実際には1962年から1970年の8年間しか活動していない。そしてその間に、数え方にもよるが12~13枚のアルバムを発表し、ほぼすべてが後世に多大な影響を与えている。
 本アルバム『サージェント・ペパーズ』は、そのなかの8枚目であり、ちょうどビートルズの前期と後期を橋渡しするようなアルバムだと思われる。

1965年 ラバー・ソウル
1966年 リボルバー
1967年 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
1968年 ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

というリリースなので、中期ビートルズの最後を飾る作品とも言える。またビートルズは1966年を最後にライブを止めており(大騒動になる、大歓声のなか、自分たちの音楽が観客に届いるか不安に思ったなど。またポールは、ジョージが演奏技術的な問題からライブをやめたがっていた、なんてことも言っていたはず。イヤな奴だ)、1967年発表の『サージェント・ペパーズ』は、「ライブ演奏を前提としない」音作りの端緒とも言うことが出来るだろう。
 そして、一曲目で「私たちはペパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです」と歌い、最後に「それでは聞いてください、次はビリー・シアーズです」と言って二曲目、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」がリンゴのボーカルで始まる。それ以降は、さほど「演奏会」といった雰囲気があるわけでもなく、各楽曲ごとの独立性も高いのだが、また最後に「サージェント・ペパーズ~リプライズ」で冒頭のアレンジ曲が流れ、その後に「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が、それこそアンコールのように歌われる。これまでの「シングル曲と、それを埋める曲の詰め合わせによるアルバム」というものから一歩進んだ、「総体としての完成度」を考慮に入れたものであり、コンセプト・アルバムの元祖とも言われる(1。

 この、コンセプト・アルバムというのが曲者で、1970年代に流行ったプログレッシブ・ロックなんかは、コンセプト・アルバム的なものがきわめて多い。そもそも一曲10分以上が普通であったプログレ界では、「ヒットシングル」なるものが望みにくいので、いきおいコンセプト・アルバム的な造りになっていく。
 そして、「一曲10分以上は普通」「超絶技巧」といったプログレの先鋭化、もしくは奇形進化に人々はついていけなくなり、プログレは段々と勢いを失ってゆく。70年代後半になって花開いたパンクという分野が、「短い曲」を「技術よりも初期衝動」で演奏し、しかもアルバム主体ではなく「シングルを売り抜けてオサラバ」(少なくともSex Pistolsはそんな感じ)というスタイルは、まさに『サージェント・ペパーズ』以来続く、コンセプト・アルバムの呪縛にたいするアンチ・テーゼであったようにも思う。
 つまり、現在も続く「シングルかアルバムか」という対立構造のパンドラの箱を開けてしまったのが、『サージェント・ペパーズ』であるとも言えるだろう(それ以前、少なくともロック界において、アルバムはシングルの寄せ集めという概念が一般的であったので、そもそも対立軸として認識されにくかった:但し例外もある。註参考)。

 90年代の終わり、たしか『マリア』をリリースしたころだったから、1998年のことだと思う。黒夢の清春が、音楽雑誌に「シングルを中心に売っていくといういまのスタイルは、消費主義であって、それはなにか違う。自分はアルバムを主体にして評価して欲しい」(大意)と語っていたように思う。この頃の黒夢は結構とんがっていて、「100万人が良いと思う音楽なんて気持ち悪いでしょ?」と言っていたり(90年代は日本で一番CDが売れた時期であり、オリコン1位のシングルが100万枚は普通だった)、シングル『マリア』には歌詞カードを付けなかったりとか(当時の日本の音楽業界(今も)は、「カラオケで歌える」というのが重要で、それへの反発だった)、なかなかすごかったものだが、この「アルバム主体で評価して欲しい」という考え方、実はロック史全体を見ると、ものすごくオーソドックスな考え方で、むしろ当時清春が傾倒していたパンク的なシーンにおいては、シングルでゲリラ的に打っていくというやり方が「カッコいい」やり方であり、清春の考え方は、むしろ反動的だったようにも思う。
 しかし、いわゆる「日本の売れ筋音楽」がシングルを中心に動いていたというのも、まぎれもない事実であり、そういった商業主義にたいする反抗としてのシングル軽視というのは、時代性を考慮に入れれば十分意味のあるものだったと思う。(その後黒夢は解散し、Sadsなどでは普通にシングルを売っていたように思うが。しかし、オリジナル・カラオケなる、個人的にも存在意義の分からないトラックは収録していないようで、そこはものすごく賛同出来る)

 『サージェント・ペパーズ』に話を戻すと、このアルバムは「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」「フィクシング・ア・ホール」のようなドラッギーな曲、「ウィズィン・ユー・ウィザウト・ユー」のようなインド・ラブな曲が含まれており、この辺りに中期ビートルズの香りが嗅ぎとれるけれども、それ以外は割と普通に楽しめる曲が多い。とくにポールがメインを取っている曲は結構普通に綺麗な曲が多く、インパクトの強い曲に埋もれがちだけれど、意外とこれでバランスが取れているのかもしれない。
 個人的には、アンコール・ナンバーである「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が一番好きである。この曲もドラッギーな曲と見なされているようであるが、新聞からインスピレーションを受けたという歌詞は、まるでカット・アップのように切り貼りされたイメージの羅列が素晴らしい。



 (1)但し、厳密に言えばビートルズ以前からコンセプト・アルバムというものは存在していた。英語版Wikipediaによると、1940年にリリースされた、Woody GuthrieのDust Ball Balladが最古のコンセプト・アルバムだという。また1950年代には、ジャズのミュージシャンがコンセプト・アルバム的なものを多くレコーディングしていたという。ロックの分野においても、1966年にリリースされた、Beach BoysのPet Soundsや、Frank Zappa and Mother's of InvasionのFreak Out!の方が先である。ただ、一般的に『サージェント・ペパーズ』がコンセプト・アルバムの元祖と広く見なされていることも確かであり、後世に与えた影響などを考えると、やはり本アルバムが(少なくともロック界に)「コンセプト・アルバム」という概念を広げたという意義は大きいだろう(英語版Wikipedia: Concept Album)。
 

2013年3月16日土曜日

人間椅子『怪人二十面相』

人間椅子『怪人二十面相』2000年


 日本が誇る和風ドゥーム・メタルバンド、人間椅子の9枚目のアルバム。人間椅子というと、幻想的というよりもむしろ怪奇趣味で和風な歌詞が真っ先に思い浮かぶが、音楽的にはややスラッシュ・メタル寄りだったりして、なにも知らない初心者が手を出すと火傷をするバンドでもあると思う(スラッシュ・メタル好きは除く)。曲名を、戦前の幻想文学から取ってきたりして、聞く者の怪奇趣味をくすぐるのが上手いのだ。その割には、卑近な話題をテーマにした曲などもあり、個人的にはちょっとつかみどころのないバンドでもある。

 さて、人間椅子のコンセプト自体は好きなものの、彼らが奏でる旋律の方には少し苦手意識を持っていたのだが、そのなかでも、この『怪人二十面相』は聞きやすい部類になるのではなかろうか。音楽のキャッチ―さもさることながら、全編が、いわゆる江戸川乱歩の探偵小説風味で統一されており、あの世界観が好きであれば、「あぁ、これはこういうイメージから由来しているんだな」などと思い至って、ニヤニヤしながら聞くことが出来るのである。

 楽曲的には、「芋虫」などが強烈であろうが、個人的には最終曲の「大団円」を推したい。アルバム全体の流れとしては、その前が「楽しい夏休み」「地獄風景」という、夏休みと運動会を歌った、どちらかというと乱歩の世界から外れた、超アップテンポな、正統派メタルの曲が二曲続いており、それを待っての「大団円」なのだが。この一曲をもって、『怪人二十面相』はプログレの名盤の一枚に数えることが出来るだろう。
 「大団円」は「芋虫」と並ぶ8分の長大曲であるが、ダウナーで陰鬱な曲想が徹頭徹尾貫かれている「芋虫」と違い、「大団円」は途中で二転三転する。最初はミドルテンポで開始し、何事かを予感させるギターが旋律を奏でていく。歌が始まると、曲はややテンポを落とすが、歌詞はいかにも「劇的」を狙ったようなフレーズが畳みかけられてく。この劇的具合は、あからさますぎて、むしろ「戯画化」のようにも思える。「青銅の女神」「貴婦人の涙」「北欧の古城」など、「いかにも」過ぎるイメージが積み重ねられていくが、その合間にも「そして大団円、やがて大団円」という言葉で各バースがつなげられてゆく。中盤になるとまた曲が一変し、なんと今度は舞台のカーテンコールになるのだ。つまり、これまでのアルバムで歌われてきた曲をすべて、舞台上のことである、としてしまうのだ。(もちろん、歌詞のみを読むなら、このカーテンコールは「大団円」前半部の「いかにも」なドラマにたいするものであるのだが、それは容易にアルバム全体へと拡大され得る)
そして、このアルバム全体のトリを飾る「大団円」は最後に

またのご来場をお待ちして
また会うその日まで御機嫌よう

と歌う。そして冒頭のギターフレーズがもう一度繰り返され、アルバム全体はしめやかに終了する。
 人間椅子といえば、普通はスラッシュ・メタルと言われるだろうが、この曲はこの全体を統一するイメージや曲同士の有機的なつながりがきわめてプログレッシブ・ロック的であるし、また過剰とも言えるシアトリカルな演出が、ロック・オペラ的でもある。なんとも形容のしがたいアルバムであるが、名盤ということだけは確実である。


ミート・ローフ『地獄のロック・ライダー』Meat Loaf, "Bat out of Hell"

Meat Loaf, Bat out of Hell, 1977
ミートローフ『地獄のロックライダー』1977年



 Big in Japanという言葉がある。元々はイギリスのパンクバンドの名前にそういうのがあったらしいが、日本においては1970年代に音楽雑誌『ミュージックライフ』が使いだしたのが端緒と言えるようだ。これは「日本だけで人気のバンド」を指す言葉であり、古い例ではベンチャーズなど。また、最初日本における人気で火が付き、その後世界的バンドとして成長したバンドにも、そのような表現が使われることもある(ボン・ジョヴィやクイーンなど。但し、クイーンは日本におけるヒット以前、すでにイギリスで中ヒットはしていたとも言われる)。
 これとは逆に、Small in Japanという言葉もある。AC/DCなどが代表例だが、このミートローフもまさにSmall in Japanアーティストと言えるだろう。なにしろ、ルックスの押し出しが強すぎる。絵に描いたような巨漢であり、そこに苦み走った表情と自己主張の強い長髪、外見的に言えば、若い女の子がキャーキャー言うようなタイプでは全然ない。


しかし、このアルバム、『地獄のロック・ライダー』、なんと世界でもっとも売れたアルバムの5位なのである。(英語版Wikipedia記事:List of best-selling albums
1位はマイケル・ジャクソンの『スリラー』、2位はAC/DCの『バック・イン・ブラック』、3位はピンク・フロイドの『狂気』、4位は映画『ボディーガード』のサントラ、そして5位が本アルバムであり、なんと全世界で4300万枚も売れたという。(このリストに、もうひとつのSmall in Japanバンド、AC/DCがランクインしているのも面白いが)

 そんなモンスター・アルバムである本作は、基本的にジム・スタインマンが作詞作曲をしており、つまりミートローフは基本的に歌っているだけなのである。但し、その歌声のクオリティが半端なく高いため、「自作自演じゃないとロックじゃない」と考えている人も、一度騙されたと思って聞いてみて欲しいものである。
 本作はロック・オペラとも言われるが、それはまさにミートローフの劇的な歌い方に負うところも大きいと思われる。激しい曲から甘いバラードまで、本アルバムに収められている曲は多彩であるが、基本的にメロディアスで「スウィート」な曲調が多い。1977年という、パンク前夜の時代も幸いしたのだろうか(もうパンクの萌芽はあるのだが)、ちょっと現在では躊躇してしまうほどのオプティミズムに溢れたアルバムであると、個人的には感じた。この、激しくも美しい曲を超絶技巧のシンガーが朗々と歌い上げ、最終的には起承転結が決まり、ちゃんと着地するという構造も、アメリカ人に好まれたのかもしれない。とにかく激しいディズニーランドのよう、音楽のテーマパークを構築することに成功しているアルバムなのである。

 ロック・オペラなどと言われているが、基本的には各曲独立しており、それぞれの曲同士のあいだに内的なつながりは存在しない(ように思われる)。そのため、我々は5~9分で展開されるドラマにただ耳を傾ければ良いのである。
 有名なのはタイトルチューンの「地獄からの蝙蝠(Bat out of Hell)」。暗闇のなかバイクを飛ばす若者が事故って、薄れゆく意識のなかで彼が見たのは、まるで蝙蝠のように彼の体内から飛び出してゆく、彼の心臓であった、というストーリーを朗々と歌い上げる。文字にしてしまうと大したことないのだが(というかこのアルバムに収められている曲の歌詞は、だいたい他愛もないことが謳われている)、これが美しいメロディーに彩られ、ミートローフのドラマチックな美声で歌われると、なんとも言えないのである。

 「ダッシュボード・ライトのそばの天国(Paradise by the dashboard Light)」は、男女の掛け合いで展開してゆくアップテンポの曲である。舞台は、おそらく深夜の公演かどこか、車のなかでイチャイチャしている恋人同士、男の方は「誰も見てないから、ほら、もっと近寄って」と言う。女の子は「でも深夜は冷えるし心細いわ」男「ダッシュボード・ライトのそばに天国が見えるよ」女「でも私たち、17歳になったばかりだし…」男「いいじゃないか、もっと近寄って」とイチャイチャしているのが前半。ラジオの野球中継が流れ始め、その後ろに喘ぎ声が出始めたところで、急に曲が展開する。女の子は「ちょっとまって!これ以上続けるなら、一生愛してくれるのじゃなきゃダメ!」と言い、男の子は「とりあえず返事は明日の朝するからさ」と、のらりくらり。押し問答が続いて、結局男の子が「もう我慢出来ない!ああ!一生愛し続けるとも!」と叫び、お互い一生愛し続けようね!と大合唱。曲の盛り上がりも最高潮!このままエンディングかと思いきや、男が「というのは遠く過ぎ去った昔の話、いまより昔の方がずっと良かったなぁ」と嘆く。
 曲の前半では男の方が、「こんなに感じたことはない、こんなに良い気持ちは初めてだ。俺たちはまるでナイフの切っ先のように輝いている(It never felt so good, it never felt so right
And we're glowing like the metal on the edge of a knife)」と言って女の子を誘惑するが、このまったく同じセリフを、最後に女(昔日の女の子)の方が言うのである。
 なんとも皮肉の利いた曲だが、思想性は一切ナシ。純粋なエンターテイメントである。

 そう、ミートローフの曲は基本的に、思想的でない。難しいことはいいから、とことん楽しもうぜ!なのである(これはミートローフが、というよりも、作詞作曲のジム・スタインマンの資質なのかもしれないけど)。だから、甘いラブソングならとことん甘く、激しい曲ならとことん激しく、なのである。この辺りも、日本人に軽く見られる原因なのかもしれない。しかし、なにも考えずに、ただ良質のエンターテイメントに身を任せるのも良いものである。




2013年3月15日金曜日

ヤクラ、Jacula, "Tardo Pede in Magiam Versus"

Jacula, Tardo Pede in Magiam Versus, 1973
ヤクラ『サバトの宴』1973年


 イタリアン・プログレである。そのなかでも、かなりニッチな部類であるが、一説によるとDevil Dollが出てくるまで、この「おどろおどろしいプログレ」の分野における第一人者であったという。そりゃあ、類似アルバムが出ていないんだから、当然か。しかし日本語題『サバトの宴』とは、また吹かしたものである。自分はイタリア語に詳しくないが、明らかに雰囲気で付けた邦題だろう。とはいえ、それがまたなんとなく合っているような気もするのが始末に負えないところでもあるのだが。
 このヤクラというバンド、どうやら長らくこのアルバムのみしかリリースしていなかったようで、ずっと「珍盤」扱いされ、レコード市場では高値で取引されてきたという歴史があるという(自分が持っているのは、再販の紙ジャケCD版)。たしかに、ジャケ買いしてしまっても仕方ないほどの、独特の魅力を持っている。いや、魅力というよりも「毒」であろうか。

 内容としては、全6曲収録で、10分ほどの曲が3曲、5分ほどの曲が3曲と、プログレとしては標準的な作りである。アルバム全体にパイプオルガンがフィーチャリングされており、まるでバッハのような荘厳さを醸し出している。また、ヒステリックとも言える女性ボーカルが全曲に亘ってメインボーカルを取っており(ほぼボーカルなし、男性の語りのみという曲もある)、このボーカルの独特の雰囲気も相まって、ほかのプログレバンドとは一線を画すものが出来上がっている。また、英語に比べて母音が多く、力強さを感じ取れるイタリア語で歌われており、この辺りもヤクラの特徴のひとつになっていると言えるだろう。
 但し、このあまりにも強いコンセプトが、アルバム全体の広がりを邪魔しているように思われる部分もある。つまり、アルバム全体が統一されているのであるが、逆に、すべて同じ速度でのっぺりと進んでいくようにも感じられてしまうのである。もちろんよく聞いてみれば、必ずしも平板なわけでなく、しっかりと起伏が感じられる。「Jacula Valzer」などは、(三拍子ということを除けば)それほどワルツっぽくないが、フルートがフィーチャリングされており、後ろでほのかに響く女性コーラスなど、なにやら幻想的な雰囲気を醸し出している。それにもかかわらず単調に思われる理由として、やけにクラシカルな曲想のフォーマットに忠実である、という点もあるだろうか。基本的にチャーチオルガンとコーラス、女性ボーカル、そして不気味な語りというフォーマットが完成され過ぎており、収録曲それぞれの区別がつきにくいのである。これは、シングルヒットを生み出しにくいコンセプト・アルバムと呼ばれるものすべてに当てはまる悩みではないだろうか。
 つまり、この手のアルバムは、「何曲かが収録されたアルバム」ではなく、「アルバム一枚でひとつ」のものとして認識しなければならないのだろう。
 また、同様の雰囲気を持つバンドと比較すると、90年代に出たDevil Dollなどとも違っている。Devil Dollは確実に80年代以降の音楽を吸収しており、またアルバム全体をシアトリカルにまとめ上げるコンセプトが強かったが、70年代のヤクラは、まだ「歌もの」としての性格が強い。また、時代のせいなのか、イタリアという土地柄のせいなのか、「懐メロ的」というか、「ド演歌的」な要素が強い。これは、メロディーを重視するイタリア人気質なのかは知らないが。そのため、同様なコケ脅しゴシック趣味のCradle of Filthなどに比べると、メロウで歌い上げる感じが強い。

 このなかばカルト扱いされていたバンド、ヤクラであるが、実は2001年にセカンドアルバム、2011年にサードアルバムを発表している。こちらの方は未聴であるが、21世紀にもなって、このイタリアン・ジャッロ的なコケ脅し怪奇趣味(誉め言葉)を継続しているのかは、興味があるところである。

筋肉少女帯『レティクル座妄想』

筋肉少女帯『レティクル座妄想』1994年


 筋肉少女帯9枚目のアルバム。
 世の中には、「一見するとそう思われていなくても、実際にはそうであるもの」が存在する。なにを言いたいかというと、この『レティクル座妄想』である。プログレッシブ・ロックというジャンルの定義がどのようなものであろうとも、およそプログレを好む者たちのあいだには、「プログレとは」という定義にかんする、おおまかな共通理解が存在するように思われる。もちろんそこには個人差があるわけで、そのために「あれはプログレだ、いやあれはプログレじゃない」といった議論がやかましく語られるというわけである。じゃあ、筋肉少女帯はプログレバンドか、というと、まぁ一般的には違うということになるだろう。しかし、この『レティクル座も妄想』は、きわめて「プログレ度」の高いアルバムなのである。

 大槻ケンヂ氏は、楽器が弾けない、らしい。また、彼の音楽原体験のひとつに、プログレがあったことは確かなようである(どうやらそれはEL&P『タルカス』と、ピンク・フロイド『おせっかい』だったようだ)。じゃあどうすれば良いか。Yesのような、超絶テクを駆使したプログレバンドはとても無理だ、それなら、(ピンク・フロイドの)ロジャー・ウォーターズのようなコンセプト主体のバンドならイケるんじゃないか、と思い立ったのが筋肉少女帯、ということである(筋肉少女帯そのものがプログレを目指しているわけではないだろうが)。
 そしてそのなかでも、オーケンの「プログレ趣味」が良く出ているアルバムのひとつが、この『レティクル座妄想』であると言える。なので、本アルバムは一般的にプログレ扱いされていないが、実際には、きわめてプログレ度の高いアルバムなのである。

 構成としては(オーケンのプログレ・アプローチはテクニカル方面じゃなくて構成なのだから、構成について語るのは的外れでないだろう)、「レティクル座」に向かう列車に、自殺者たちが乗り込んで出発するという枠が設定されている。その中で、ノゾミ、カナエ、タマエ、モモコといった名前が何度も復唱され、イメージを嫌が応にも重層化させて行く。謳われるモチーフも、学校生活に馴染めない学生といったものが多く、そこに、オーケン得意の、少女耽美趣味などが重ね塗りされてゆき、独特の世界を構築している。
 個々の楽曲は、独立の曲としても素晴らしいが、とりわけ「香菜、頭をよくしてあげよう」は個人的にお気に入りである。べつにシングル・カットされた曲というわけでもないのだが、この曲だけは、『レティクル座妄想』を通奏低音のように駆け抜ける「鬱」といった気質とは異なっている。
 いつか自分から去っていくであろう女の子(恋人?)に対する、なかば保護者のような慈愛の念に満ち溢れた歌なのである。但し、オーケンのエッセイなどを読む限りだと、彼は学生時代の「モテない期」と、バンドをしてからの「モテ期」のギャップが激しすぎて、そのため女性にたいして真剣な恋愛感情を抱くことが出来なくなってしまった、というようなことが伺える。そのため、この「香菜、頭をよくしてあげよう」に謳われているシチュエーションも、実は恋愛に対して一歩引いてしまっている男の、さびしい諦観にも似た感情が謳われているのかもしれない。(彼はこの「香菜、頭をよくしてあげよう」というフレーズが気に入ったらしく、後にエッセイのタイトルにも採用している)
 それ以外にも、「愛のためいき」に見られるオーケンの気持ち悪い裏声(時をかける少女からのカバー?観ていないので、よく分からず)、「ノゾミのなくならない世界」で表現されている、これまた独特な冷めた世界観(彼のエッセイによれば、これもまた昔の彼の追っかけからの告白を基にしているらしい)など、ある種病的な世界が展開される。
 そういった「病的な世界」がピークに達するのは、最終曲一曲手前、「レティクル座の花園」であろう。この曲において、途中の「さらば桃子」で飛び降り自殺をした桃子が、死にかけていることが明かされる。桃子は犬のポチや死んだおじいちゃんと出会う。その後ろのコーラスは、

モルヒネの麻酔の幻さ それでなきゃきっとうわ言
 他愛ない桃子の妄想さ ただでさえあの子嘘つき
と歌っている。でも、そこに桃子は「幻でも夢でもいいじゃない」と返答する。妄想でも良いじゃない、だって、現実よりも妄想の方が幸せなんだもの。これもある種の現状肯定なのだろうか。すくなくとも、アルバムはこの曲において、歪んだクライマックスを迎える。
 最終曲「飼い犬が手を噛むので」は、ボーナストラックのような感じだ。Sergent Pepper'sで言えば、'A Day in  the Life'のような位置付けか。ただ、ここでもオーケンの妄想ワールドは炸裂している。歌というよりも叫びに近いこの曲において、彼は、少年少女が犬人間ではなく、つまらない人間を狩る側の人間であることを証明するための審査員として、さまざまな人名を挙げる。そこには多種多様な人名が雑多に挙げられていくが(フランク・ザッパから、アリス・リデルまで)、それはまるでこのアルバムのカーテンコールで、スペシャルサンクスが述べられているかのようでもある。





Devil Doll, "Sacrilegium"


Devil Doll, Sacrilegium, 1992
デヴィル・ドール『宗教冒涜』1992年



スロヴェニア出身の謎の音楽集団、デヴィル・ドールによる三枚目のアルバム。
このデヴィル・ドール自体が謎の人物、Mr. Doctorに率いられており、バンドというよりも、プロジェクトと言った方が良いのかもしれない。
分類としては、ゴシック・ロック、ゴシック・メタルなどになるのだろうか。

このアルバムの特徴はなんと言っても、「一曲しか収録されていない」ということだろう。
プリンスが『Lovesexy』で各トラックの分割をしないで、全盤一曲扱いでリリースしたが、そのようなスタイルとも違い、本当に「一曲」しか収録されていないのである。しかもそれが50分ほどの長尺。
「曲の長さ」をプログレの尺度とするなら、このアルバムはとてつもなくプログレッシブなロックということになる。(とはいえ、本盤は進歩的(Progressive)を通り越して、前衛的(Avant-garde)と言うべきものかもしれないけど)

曲の解説をするのもきわめて難しい。
曲そのものは、荘厳なオーケストラで幕を開け、ゴシックというに恥じることのない、重厚な音楽を聞かせてくれる。そこに「Sacrilegium」と繰り返すコーラスが重なり、緊張感もいや増して行く…。
そこで全編そのような、ネオ・クラシカルな構成を採っているかというと、さにあらず。
メイン・ボーカルのMr. Doctorの歌い方が、歌いというよりもむしろ語りに近いのだ。

無限に続く永きに亘り、幾百万の時間
私は幻影の杯を飲んだ
腫瘍と愚鈍を耕しながら
悲嘆にくれながら
骨匣の昏き隧道を
迷い歩いていた

という彼の、歌とも語りともつかない不気味な声が響き始めると、背後の音は急にフェードアウトし、ピアノだけの伴奏になる。
 その後、この絶望的なトーンだけは維持しながら、曲想は幾通りにも変化して行く。
 そしてMr. Doctorの声色も(もはや、歌声というよりも声色と言った方が正確だろう)、まるで一人芝居のように変化してゆく。
 途中、またクラシカル・メタルのようなシーンになったり、急に戦争映画の市街戦を思わせるような音が背後で鳴ったりしながら、この暗黒芝居は続いてゆき、興奮が最高潮に達して40分の演奏時間を終える。
 その後、4分の静寂を経ると、急にどこからともなく音が聞こえ始める。
 それはもはや音楽ではなく、葬式の音である。カラスの鳴き声、教会の鐘、土をかける音、そして遠くの方から、「土は土に…」という声が。
 それから逆再生をかけた意味不明の声が何事かを語り、完。

冒頭でゴシック・メタルなどと書いたが、まさに分類不能の音楽なのである。
渋谷Tower Recordではプログレッシブ・ロックの棚に置かれていたが、それもひとつの便宜的分類に過ぎないと言えるだろう。
そもそも、NirvanaのNevermindが91年に発売されており、L.A.メタルなどの音楽も勢いを失っているような時代に、よくこのような音楽を書いたものだと思う。
ただ、プログレッシブ・ロックの全盛期70年代には、このような音楽が生まれなかったであろうことも確かである。そこにはやはり80年代以降のニュー・ウェーブなどの影響があるように思われる。反時代的音楽ではなく、非時代的音楽の一種だろう。



ちなみに、正体不明とされていたMr. Doctorであるが、2007年、Mario Pancieraによる、45 Revolutions (A definitive discography of UK punk, mod, powerpop, new wave, NWOBHM, and indie singles 1976–1979, Volume I)が出版された際、彼がMr. Doctorであることが明かされたという。