2013年3月17日日曜日

ビートルズ『サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』Beatles, "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"

Beatles, Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band, 1967
ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』1967年


 説明不要のモンスターバンドの、モンスターアルバムである。ビートルズは現代ロックのさまざまな分野にイノベーションを起こしてきたが、実際には1962年から1970年の8年間しか活動していない。そしてその間に、数え方にもよるが12~13枚のアルバムを発表し、ほぼすべてが後世に多大な影響を与えている。
 本アルバム『サージェント・ペパーズ』は、そのなかの8枚目であり、ちょうどビートルズの前期と後期を橋渡しするようなアルバムだと思われる。

1965年 ラバー・ソウル
1966年 リボルバー
1967年 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
1968年 ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

というリリースなので、中期ビートルズの最後を飾る作品とも言える。またビートルズは1966年を最後にライブを止めており(大騒動になる、大歓声のなか、自分たちの音楽が観客に届いるか不安に思ったなど。またポールは、ジョージが演奏技術的な問題からライブをやめたがっていた、なんてことも言っていたはず。イヤな奴だ)、1967年発表の『サージェント・ペパーズ』は、「ライブ演奏を前提としない」音作りの端緒とも言うことが出来るだろう。
 そして、一曲目で「私たちはペパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです」と歌い、最後に「それでは聞いてください、次はビリー・シアーズです」と言って二曲目、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」がリンゴのボーカルで始まる。それ以降は、さほど「演奏会」といった雰囲気があるわけでもなく、各楽曲ごとの独立性も高いのだが、また最後に「サージェント・ペパーズ~リプライズ」で冒頭のアレンジ曲が流れ、その後に「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が、それこそアンコールのように歌われる。これまでの「シングル曲と、それを埋める曲の詰め合わせによるアルバム」というものから一歩進んだ、「総体としての完成度」を考慮に入れたものであり、コンセプト・アルバムの元祖とも言われる(1。

 この、コンセプト・アルバムというのが曲者で、1970年代に流行ったプログレッシブ・ロックなんかは、コンセプト・アルバム的なものがきわめて多い。そもそも一曲10分以上が普通であったプログレ界では、「ヒットシングル」なるものが望みにくいので、いきおいコンセプト・アルバム的な造りになっていく。
 そして、「一曲10分以上は普通」「超絶技巧」といったプログレの先鋭化、もしくは奇形進化に人々はついていけなくなり、プログレは段々と勢いを失ってゆく。70年代後半になって花開いたパンクという分野が、「短い曲」を「技術よりも初期衝動」で演奏し、しかもアルバム主体ではなく「シングルを売り抜けてオサラバ」(少なくともSex Pistolsはそんな感じ)というスタイルは、まさに『サージェント・ペパーズ』以来続く、コンセプト・アルバムの呪縛にたいするアンチ・テーゼであったようにも思う。
 つまり、現在も続く「シングルかアルバムか」という対立構造のパンドラの箱を開けてしまったのが、『サージェント・ペパーズ』であるとも言えるだろう(それ以前、少なくともロック界において、アルバムはシングルの寄せ集めという概念が一般的であったので、そもそも対立軸として認識されにくかった:但し例外もある。註参考)。

 90年代の終わり、たしか『マリア』をリリースしたころだったから、1998年のことだと思う。黒夢の清春が、音楽雑誌に「シングルを中心に売っていくといういまのスタイルは、消費主義であって、それはなにか違う。自分はアルバムを主体にして評価して欲しい」(大意)と語っていたように思う。この頃の黒夢は結構とんがっていて、「100万人が良いと思う音楽なんて気持ち悪いでしょ?」と言っていたり(90年代は日本で一番CDが売れた時期であり、オリコン1位のシングルが100万枚は普通だった)、シングル『マリア』には歌詞カードを付けなかったりとか(当時の日本の音楽業界(今も)は、「カラオケで歌える」というのが重要で、それへの反発だった)、なかなかすごかったものだが、この「アルバム主体で評価して欲しい」という考え方、実はロック史全体を見ると、ものすごくオーソドックスな考え方で、むしろ当時清春が傾倒していたパンク的なシーンにおいては、シングルでゲリラ的に打っていくというやり方が「カッコいい」やり方であり、清春の考え方は、むしろ反動的だったようにも思う。
 しかし、いわゆる「日本の売れ筋音楽」がシングルを中心に動いていたというのも、まぎれもない事実であり、そういった商業主義にたいする反抗としてのシングル軽視というのは、時代性を考慮に入れれば十分意味のあるものだったと思う。(その後黒夢は解散し、Sadsなどでは普通にシングルを売っていたように思うが。しかし、オリジナル・カラオケなる、個人的にも存在意義の分からないトラックは収録していないようで、そこはものすごく賛同出来る)

 『サージェント・ペパーズ』に話を戻すと、このアルバムは「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」「フィクシング・ア・ホール」のようなドラッギーな曲、「ウィズィン・ユー・ウィザウト・ユー」のようなインド・ラブな曲が含まれており、この辺りに中期ビートルズの香りが嗅ぎとれるけれども、それ以外は割と普通に楽しめる曲が多い。とくにポールがメインを取っている曲は結構普通に綺麗な曲が多く、インパクトの強い曲に埋もれがちだけれど、意外とこれでバランスが取れているのかもしれない。
 個人的には、アンコール・ナンバーである「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が一番好きである。この曲もドラッギーな曲と見なされているようであるが、新聞からインスピレーションを受けたという歌詞は、まるでカット・アップのように切り貼りされたイメージの羅列が素晴らしい。



 (1)但し、厳密に言えばビートルズ以前からコンセプト・アルバムというものは存在していた。英語版Wikipediaによると、1940年にリリースされた、Woody GuthrieのDust Ball Balladが最古のコンセプト・アルバムだという。また1950年代には、ジャズのミュージシャンがコンセプト・アルバム的なものを多くレコーディングしていたという。ロックの分野においても、1966年にリリースされた、Beach BoysのPet Soundsや、Frank Zappa and Mother's of InvasionのFreak Out!の方が先である。ただ、一般的に『サージェント・ペパーズ』がコンセプト・アルバムの元祖と広く見なされていることも確かであり、後世に与えた影響などを考えると、やはり本アルバムが(少なくともロック界に)「コンセプト・アルバム」という概念を広げたという意義は大きいだろう(英語版Wikipedia: Concept Album)。
 

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