2013年3月18日月曜日

Devil Doll, インタビュー要約(2)

インタビュー要約(1)はこちら


  • あなたの音楽には、ロック/メタル、プログレ、クラシック、サウンドトラックなどの影響があるように思われるが、どのようなものから音楽的影響を受けているのだろうか?


 Mr. Doctorの母親はクラシックの素養があるピアニストで(プロであったのかどうかは不明)、彼の幼少期の音楽的傾向の指針となった。それはとりわけベートーヴェンであったという。幼いMr. Doctor少年はステレオ・セットのあるダイニング・ルームに座り、母親が音楽をかけるのを聞いていたというが、そこで彼女はつねに明かりを消し、それはあたかも、音楽と光が共存不可能なようであったという。彼は目を閉じると、ベートーヴェンのサウンドトラックが付けられた映画のなかにいるようだったと回想しているが、そこでベートーヴェン『交響曲第7番』第2楽章を挙げている(1
 但し、彼の母親はそれほど趣味の範囲を広げようという人間ではなかったようで、クラシック趣味も、バッハ、モーツァルト、ブラームス、ヴィヴァルディなどに限られていたようである。彼はその後、ドヴォルザーク『交響曲第9番』(2、ホルスト『惑星』(彼によれば、「火星」はハード・ロックの元祖である)(3、サミュエル・バーバー『弦楽のためのアダージョ』(4に傾倒してゆく。またDevil Doll開始時に嵌っていたのは、ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番』、『ムツェンスク群のマクベス夫人』(5、プロコフィエフ『アレクサンドル・ネフスキー』(6、ベラ・バルトーク『管弦楽のための協奏曲』(7、チャールズ・アイヴズ『交響曲第4番』(8などであり、また一方で、ペンデレツキやルトスワフスキによって(9、音色の世界への興味が増進されたとも語っている。

  インタビュー要約(3)へ

(1)ルードヴィッヒ・ベートーヴェン(1770-1827):神聖ローマ帝国の作曲家。日本では「楽聖」とも呼ばれる。毎年暮れの「第九」は、「日本だけの」風物詩である。『交響曲第7番』は、ベートーヴェンの交響曲のなかでは明朗快活な曲であり、さまざまなテレビや映画にも使われている。但し、交響曲の文法的には「緩徐楽章(ゆったりとした楽章)」になることの多い第二楽章はゆっくりしており、Mr. Doctorが「好戦的で、葬式のような(martial, funeral-like)」と感じたのも無理からぬことである。


(2)アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904):オーストリア帝国(現チェコ)の作曲家。
『交響曲第9番』(1894)は彼の数多くの楽曲のなかでも最も有名であり、「新世界より(From the New World)」という副題が付いている。ここで言う「新世界」とは、アメリカ合衆国のことであり、アメリカ滞在時に、新世界から故郷ボヘミアに向けて書かれた曲である。第二楽章Largoが、のちに『家路』や『遠き山に日は落ちて』などの歌詞が付けられ、独立した曲として人気を博す。


(3)グスターヴ・ホルスト(1874-1934):イギリスの作曲家。組曲『惑星(The Planets)』(1914-1916)は彼の代表曲。発表当時は大人気を博したが、一時期は表面的な曲として低評価が下されていた。近年また再評価されている。


(4)サミュエル・バーバー(1910-1981):アメリカの作曲家。『弦楽のためのアダージョ(Adagio for Strings)』(1938)は『バーバーのアダージョ』とも呼ばれるほど有名である。テレビや映画、そしてニュースなどにもよく使われている有名曲。


(5)ドミートリィ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ロシア・ソ連の作曲家。暗い曲が多く、『交響曲第5番(通称:革命)』などが有名だが、デビュー時はモーツァルトの再来と呼ばれた。ロシア出身の作曲家がソ連成立後、数多く亡命してゆくのに対し、彼はずっとソ連の作曲家であり続けた。そのため、生前は「体制の御用作家」として批判を浴びていたが、死後様々な政府との軋轢が明らかになるにつれて、西側諸国での再評価がなされた。『弦楽四重奏曲第8番(String Quartet No.8)』(1960)は15曲残されたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のなかでも、もっともパーソナルなものと言われる。『ムツェンスク群のマクベス夫人(Леди Макбет Мценского уезда)』(1934)は、ショスタコーヴィチの数少ないオペラ作品のひとつ。スタリーンに激怒されたため、事実上ソ連では上演禁止となっていた。


(6)セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953):ロシア(現ウクライナ)、ソ連の作曲家。海外生活が長く、またバレエ、映画音楽など数多くのジャンルに作曲を行った。ジダーノフ批判にさらされるなどもしたが、総じて体制に応じて作風を変えるなどの転換が上手かった。『アレクサンドル・ネフスキー(Александр Невский)』(1938、1939)は、1938年公開の、エイゼンシュテインによる同名の映画のために書かれた曲を、1939年にカンタータ用として再編集したもの。


(7)ベラ・バルトーク(1881-1945):ハンガリーの作曲家。『管弦楽のための協奏曲(Concert for Orchestra)』は1943年作曲の、五楽章形式の楽曲。

(8)チャールズ・アイヴズ(1874-1954):アメリカの作曲家。『交響曲第4番』(1910-1916)は、アイヴズの最高傑作としても、またそのあまりにも巨大な構成によっても知られている。

(9)クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)、ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-1994):ともにポーランドの作曲家。

Devil Doll, インタビュー要約(1)

Devil Doll公式ページに、『Burrn!』2008年10月号のインタビューが転載されている。
Devil Doll自体の活動は1996年『怒りの日(Dies Irae)』以降中断しているわけで、実に活動停止以来、10年ぶりの新情報ということになろう。
彼にたいするインタビューの要約を、いくつか載せていくことにしたい。
本来の記事は日本語だったのだろうが、以下は英語版からの重訳であることをご了承戴きたい。

  • Devil Dollの活動のコンセプトの基になったのは?
Mr. Doctorは主なインスピレーションの源として、20~30年代の映画、とくにCarl DreyerのVampyr(1932)(1、Tod BrowningとLon Chaneyによる作品群(2、またF. W. Murnau監督(3Faust(1926)、Sunrise(1927)、Pabst監督のThe Love of Jeanne Ney(1927)、Diary of a Lost Girl(1929)(4、Dupont監督のVariety(1925)(5を挙げている。
 これらの題材が、後に幻のファースト・アルバムThe Mark of the Beastにつながっていく。
 ここで活躍したのが、voice-instrument(ボイス・チェンジャーみたいなもの?)であり、まるでSprachegesangのように歌ったり、うなったり、震え声を出したりすることが出来たという。このため、スタジオでの編集なしに、自分の声を加工することが可能になったという。そして彼が参考にしたのが、ロン・チェイニーであり、『ノートルダムのせむし男』のカジモドや、The Unknownの足のない男や(6The Unholy Threeにおける二役などの、徹底した役作りであった。
 Mr. Doctorはバンドを集めるときに、
人間は、彼が理性に支配されている程度よりも偉大になることは在りそうもない。偉大さを達成出来る者はほとんどいないのであり、もし幻影に支配されているのでなければ、芸術においてそのような者はまったくいない。
(A Man Is The Less Likely To Become Great The More He Is Dominated By Reason. Few Can Achieve Greatness, And None In Art, If They Are Not Dominated By Illusion)
という広告文を出した。その後イタリアやユーゴスラビア(現スロベニア)からミュージシャンが集まってきて、Devil Dollが形成されたという。Devil Dollという名前は、トッド・ブラウニング監督、1936年の映画The Devil-Dollから取られている(7。但し、残念なことに、6年前に亡くなっているロン・チェイニーは、この映画に参加していない。

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(1)カール・テオドール・ドライヤー(1889-1968):デンマーク出身の映画監督。日本では『裁かるるジャンヌ』の監督として有名。映画『吸血鬼(Vampyr)』はレ・ファニュの短編In a Glass Darkly(1872)を基にしたものだという。(映画そのものはパブリック・ドメインのため、Youtube上で本編全体を見ることが出来る)『吸血鬼』にかんする記事

(2)トッド・ブラウニング(1880-1962)とロン・チェイニー(1883-1930):トッド・ブラウニングは映画『フリークス』で有名な監督。ロン・チェイニーは映画初期の怪奇俳優。

(3)フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ(1888-1931):ドイツの映画監督。一般的には『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の監督として有名。『吸血鬼ノスフェラトゥ』にかんする記事


(4)ゲオルグ・ヴィルヘルム・パープスト(1885-1967):オーストリア出身、ドイツの映画監督。Mr. Doctorがここで挙げている映画も原題はドイツ語であり、それぞれ、Die Liebe der Jeanne NeyTagebuch einer Verlorenenという題である。

(5)エヴァルト・アンドレ・デュポン(1891-1956):ドイツの映画監督。ドイツ映画界の祖の一人ともされる。空中ブランコ芸人を題材にした映画Varietyは、原題Varieté、またはJealousyとしても知られる。


(6)知られぬ男(The Unknown)(1927):Mr. Doctorは「足のない男(the legless man)」と言っているが、ロン・チェイニーがこの映画で演じた役は、「腕なしのアロンゾ(Alonzo the Armless)」という役柄である。Mr. Doctorの記憶違いか。

(7)The Devil-Doll(1936):トッド・ブラウニング監督のアメリカ映画。

2013年3月17日日曜日

Devil Doll, "The Girl Who Was ... Death"

Devil Doll, The Girl Who Was ... Death, 1989
デヴィル・ドール『死せる少女に捧ぐ』1989年


 スロヴェニアの変態的シアトリカルバンド、Devil Dollの第一作である。直訳すると「死…だった少女」になるだろうか。ちょっと日本語に直しづらいので、『死せる少女に捧ぐ』というのは、意訳ながらなかなか優れていると思う。正確なことを言えば、これはファースト・アルバムでなく、実はこの前にThe Mark of the Beastというアルバムが作られているようであるが、それは一枚しかプレスされておらず、バンドの主催者Mr. Doctorの手許にあるらしい。よって、実質的ファースト・アルバムと言っていいだろう。
 ちなみにこのアルバムは、1967放送のイギリスのテレビドラマ、『プリズナーNo.6(the Prisoner)』(全17話)をベースにして作られているらしい(海外のDevil Doll研究ページにも、そう書かれている)。さらに言えば、The Girl Who Was ... Deathというタイトルも、『プリズナーNo.6』第15話、'The Girl Who Was Death'から取られているようである。

 またこのアルバムはタイトル・トラック一曲のみの収録となっており、一曲で1時間という長さである。しかし音楽そのものは38分で終了し、あとは20分の沈黙が入り、その後、このthe Prisonerのセリフが2分ほど収録され、アルバムは終了する(ちなみにこのセリフは、アイアン・メイデンのThe Number of the Beastに収録の、そのまんま'The Prisoner'という曲にも使われている)。だから1時間と言いながら、曲としては38分と考えてもいいだろう(それでも長いけど)。もちろんこの20分の沈黙も、なにか意図があるのだろうが、ちょっと間延びするのも確かである。
 まぁ、この「長尺の音楽+沈黙+セリフ」というのは、彼らの三作目『宗教冒涜(Sacrilegium)』にもそのまま受け継がれるわけで、Devil Dollの基本スタイルのひとつが、ここで確立されているとも言える。

 曲そのものは、Mr. Doctorによる、歌とも語りともつかない朗読的なボーカルで展開していくのであるが、『宗教冒涜(Sacrilegium)』に比べると、ややロック寄りが強いように思われる。もちろん、おどろおどろしいボーカルの畳み掛けや、神秘的な歌詞などは共通しているのだが、ギターやドラムなどの楽器が、ロック色を強めているのだろうか。また、途中で戦争映画的な効果音が入っていた『宗教冒涜(Sacrilegium)』に比べると、それほどSE的なものは使われておらず、ストリングスやピアノが使われているとはいえ、まだ「ロック」と分類することは十分出来るように思う。
 もちろん曲そのものを聞いていても楽しめるのだけれども、このアルバムの基になっているというドラマ『プリズナーNo.6(The Prisoner)』を見れば、もっと深く理解することが出来るのだろうか…?



ビートルズ『サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』Beatles, "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"

Beatles, Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band, 1967
ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』1967年


 説明不要のモンスターバンドの、モンスターアルバムである。ビートルズは現代ロックのさまざまな分野にイノベーションを起こしてきたが、実際には1962年から1970年の8年間しか活動していない。そしてその間に、数え方にもよるが12~13枚のアルバムを発表し、ほぼすべてが後世に多大な影響を与えている。
 本アルバム『サージェント・ペパーズ』は、そのなかの8枚目であり、ちょうどビートルズの前期と後期を橋渡しするようなアルバムだと思われる。

1965年 ラバー・ソウル
1966年 リボルバー
1967年 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
1968年 ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

というリリースなので、中期ビートルズの最後を飾る作品とも言える。またビートルズは1966年を最後にライブを止めており(大騒動になる、大歓声のなか、自分たちの音楽が観客に届いるか不安に思ったなど。またポールは、ジョージが演奏技術的な問題からライブをやめたがっていた、なんてことも言っていたはず。イヤな奴だ)、1967年発表の『サージェント・ペパーズ』は、「ライブ演奏を前提としない」音作りの端緒とも言うことが出来るだろう。
 そして、一曲目で「私たちはペパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです」と歌い、最後に「それでは聞いてください、次はビリー・シアーズです」と言って二曲目、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」がリンゴのボーカルで始まる。それ以降は、さほど「演奏会」といった雰囲気があるわけでもなく、各楽曲ごとの独立性も高いのだが、また最後に「サージェント・ペパーズ~リプライズ」で冒頭のアレンジ曲が流れ、その後に「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が、それこそアンコールのように歌われる。これまでの「シングル曲と、それを埋める曲の詰め合わせによるアルバム」というものから一歩進んだ、「総体としての完成度」を考慮に入れたものであり、コンセプト・アルバムの元祖とも言われる(1。

 この、コンセプト・アルバムというのが曲者で、1970年代に流行ったプログレッシブ・ロックなんかは、コンセプト・アルバム的なものがきわめて多い。そもそも一曲10分以上が普通であったプログレ界では、「ヒットシングル」なるものが望みにくいので、いきおいコンセプト・アルバム的な造りになっていく。
 そして、「一曲10分以上は普通」「超絶技巧」といったプログレの先鋭化、もしくは奇形進化に人々はついていけなくなり、プログレは段々と勢いを失ってゆく。70年代後半になって花開いたパンクという分野が、「短い曲」を「技術よりも初期衝動」で演奏し、しかもアルバム主体ではなく「シングルを売り抜けてオサラバ」(少なくともSex Pistolsはそんな感じ)というスタイルは、まさに『サージェント・ペパーズ』以来続く、コンセプト・アルバムの呪縛にたいするアンチ・テーゼであったようにも思う。
 つまり、現在も続く「シングルかアルバムか」という対立構造のパンドラの箱を開けてしまったのが、『サージェント・ペパーズ』であるとも言えるだろう(それ以前、少なくともロック界において、アルバムはシングルの寄せ集めという概念が一般的であったので、そもそも対立軸として認識されにくかった:但し例外もある。註参考)。

 90年代の終わり、たしか『マリア』をリリースしたころだったから、1998年のことだと思う。黒夢の清春が、音楽雑誌に「シングルを中心に売っていくといういまのスタイルは、消費主義であって、それはなにか違う。自分はアルバムを主体にして評価して欲しい」(大意)と語っていたように思う。この頃の黒夢は結構とんがっていて、「100万人が良いと思う音楽なんて気持ち悪いでしょ?」と言っていたり(90年代は日本で一番CDが売れた時期であり、オリコン1位のシングルが100万枚は普通だった)、シングル『マリア』には歌詞カードを付けなかったりとか(当時の日本の音楽業界(今も)は、「カラオケで歌える」というのが重要で、それへの反発だった)、なかなかすごかったものだが、この「アルバム主体で評価して欲しい」という考え方、実はロック史全体を見ると、ものすごくオーソドックスな考え方で、むしろ当時清春が傾倒していたパンク的なシーンにおいては、シングルでゲリラ的に打っていくというやり方が「カッコいい」やり方であり、清春の考え方は、むしろ反動的だったようにも思う。
 しかし、いわゆる「日本の売れ筋音楽」がシングルを中心に動いていたというのも、まぎれもない事実であり、そういった商業主義にたいする反抗としてのシングル軽視というのは、時代性を考慮に入れれば十分意味のあるものだったと思う。(その後黒夢は解散し、Sadsなどでは普通にシングルを売っていたように思うが。しかし、オリジナル・カラオケなる、個人的にも存在意義の分からないトラックは収録していないようで、そこはものすごく賛同出来る)

 『サージェント・ペパーズ』に話を戻すと、このアルバムは「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」「フィクシング・ア・ホール」のようなドラッギーな曲、「ウィズィン・ユー・ウィザウト・ユー」のようなインド・ラブな曲が含まれており、この辺りに中期ビートルズの香りが嗅ぎとれるけれども、それ以外は割と普通に楽しめる曲が多い。とくにポールがメインを取っている曲は結構普通に綺麗な曲が多く、インパクトの強い曲に埋もれがちだけれど、意外とこれでバランスが取れているのかもしれない。
 個人的には、アンコール・ナンバーである「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が一番好きである。この曲もドラッギーな曲と見なされているようであるが、新聞からインスピレーションを受けたという歌詞は、まるでカット・アップのように切り貼りされたイメージの羅列が素晴らしい。



 (1)但し、厳密に言えばビートルズ以前からコンセプト・アルバムというものは存在していた。英語版Wikipediaによると、1940年にリリースされた、Woody GuthrieのDust Ball Balladが最古のコンセプト・アルバムだという。また1950年代には、ジャズのミュージシャンがコンセプト・アルバム的なものを多くレコーディングしていたという。ロックの分野においても、1966年にリリースされた、Beach BoysのPet Soundsや、Frank Zappa and Mother's of InvasionのFreak Out!の方が先である。ただ、一般的に『サージェント・ペパーズ』がコンセプト・アルバムの元祖と広く見なされていることも確かであり、後世に与えた影響などを考えると、やはり本アルバムが(少なくともロック界に)「コンセプト・アルバム」という概念を広げたという意義は大きいだろう(英語版Wikipedia: Concept Album)。
 

2013年3月16日土曜日

人間椅子『怪人二十面相』

人間椅子『怪人二十面相』2000年


 日本が誇る和風ドゥーム・メタルバンド、人間椅子の9枚目のアルバム。人間椅子というと、幻想的というよりもむしろ怪奇趣味で和風な歌詞が真っ先に思い浮かぶが、音楽的にはややスラッシュ・メタル寄りだったりして、なにも知らない初心者が手を出すと火傷をするバンドでもあると思う(スラッシュ・メタル好きは除く)。曲名を、戦前の幻想文学から取ってきたりして、聞く者の怪奇趣味をくすぐるのが上手いのだ。その割には、卑近な話題をテーマにした曲などもあり、個人的にはちょっとつかみどころのないバンドでもある。

 さて、人間椅子のコンセプト自体は好きなものの、彼らが奏でる旋律の方には少し苦手意識を持っていたのだが、そのなかでも、この『怪人二十面相』は聞きやすい部類になるのではなかろうか。音楽のキャッチ―さもさることながら、全編が、いわゆる江戸川乱歩の探偵小説風味で統一されており、あの世界観が好きであれば、「あぁ、これはこういうイメージから由来しているんだな」などと思い至って、ニヤニヤしながら聞くことが出来るのである。

 楽曲的には、「芋虫」などが強烈であろうが、個人的には最終曲の「大団円」を推したい。アルバム全体の流れとしては、その前が「楽しい夏休み」「地獄風景」という、夏休みと運動会を歌った、どちらかというと乱歩の世界から外れた、超アップテンポな、正統派メタルの曲が二曲続いており、それを待っての「大団円」なのだが。この一曲をもって、『怪人二十面相』はプログレの名盤の一枚に数えることが出来るだろう。
 「大団円」は「芋虫」と並ぶ8分の長大曲であるが、ダウナーで陰鬱な曲想が徹頭徹尾貫かれている「芋虫」と違い、「大団円」は途中で二転三転する。最初はミドルテンポで開始し、何事かを予感させるギターが旋律を奏でていく。歌が始まると、曲はややテンポを落とすが、歌詞はいかにも「劇的」を狙ったようなフレーズが畳みかけられてく。この劇的具合は、あからさますぎて、むしろ「戯画化」のようにも思える。「青銅の女神」「貴婦人の涙」「北欧の古城」など、「いかにも」過ぎるイメージが積み重ねられていくが、その合間にも「そして大団円、やがて大団円」という言葉で各バースがつなげられてゆく。中盤になるとまた曲が一変し、なんと今度は舞台のカーテンコールになるのだ。つまり、これまでのアルバムで歌われてきた曲をすべて、舞台上のことである、としてしまうのだ。(もちろん、歌詞のみを読むなら、このカーテンコールは「大団円」前半部の「いかにも」なドラマにたいするものであるのだが、それは容易にアルバム全体へと拡大され得る)
そして、このアルバム全体のトリを飾る「大団円」は最後に

またのご来場をお待ちして
また会うその日まで御機嫌よう

と歌う。そして冒頭のギターフレーズがもう一度繰り返され、アルバム全体はしめやかに終了する。
 人間椅子といえば、普通はスラッシュ・メタルと言われるだろうが、この曲はこの全体を統一するイメージや曲同士の有機的なつながりがきわめてプログレッシブ・ロック的であるし、また過剰とも言えるシアトリカルな演出が、ロック・オペラ的でもある。なんとも形容のしがたいアルバムであるが、名盤ということだけは確実である。


ミート・ローフ『地獄のロック・ライダー』Meat Loaf, "Bat out of Hell"

Meat Loaf, Bat out of Hell, 1977
ミートローフ『地獄のロックライダー』1977年



 Big in Japanという言葉がある。元々はイギリスのパンクバンドの名前にそういうのがあったらしいが、日本においては1970年代に音楽雑誌『ミュージックライフ』が使いだしたのが端緒と言えるようだ。これは「日本だけで人気のバンド」を指す言葉であり、古い例ではベンチャーズなど。また、最初日本における人気で火が付き、その後世界的バンドとして成長したバンドにも、そのような表現が使われることもある(ボン・ジョヴィやクイーンなど。但し、クイーンは日本におけるヒット以前、すでにイギリスで中ヒットはしていたとも言われる)。
 これとは逆に、Small in Japanという言葉もある。AC/DCなどが代表例だが、このミートローフもまさにSmall in Japanアーティストと言えるだろう。なにしろ、ルックスの押し出しが強すぎる。絵に描いたような巨漢であり、そこに苦み走った表情と自己主張の強い長髪、外見的に言えば、若い女の子がキャーキャー言うようなタイプでは全然ない。


しかし、このアルバム、『地獄のロック・ライダー』、なんと世界でもっとも売れたアルバムの5位なのである。(英語版Wikipedia記事:List of best-selling albums
1位はマイケル・ジャクソンの『スリラー』、2位はAC/DCの『バック・イン・ブラック』、3位はピンク・フロイドの『狂気』、4位は映画『ボディーガード』のサントラ、そして5位が本アルバムであり、なんと全世界で4300万枚も売れたという。(このリストに、もうひとつのSmall in Japanバンド、AC/DCがランクインしているのも面白いが)

 そんなモンスター・アルバムである本作は、基本的にジム・スタインマンが作詞作曲をしており、つまりミートローフは基本的に歌っているだけなのである。但し、その歌声のクオリティが半端なく高いため、「自作自演じゃないとロックじゃない」と考えている人も、一度騙されたと思って聞いてみて欲しいものである。
 本作はロック・オペラとも言われるが、それはまさにミートローフの劇的な歌い方に負うところも大きいと思われる。激しい曲から甘いバラードまで、本アルバムに収められている曲は多彩であるが、基本的にメロディアスで「スウィート」な曲調が多い。1977年という、パンク前夜の時代も幸いしたのだろうか(もうパンクの萌芽はあるのだが)、ちょっと現在では躊躇してしまうほどのオプティミズムに溢れたアルバムであると、個人的には感じた。この、激しくも美しい曲を超絶技巧のシンガーが朗々と歌い上げ、最終的には起承転結が決まり、ちゃんと着地するという構造も、アメリカ人に好まれたのかもしれない。とにかく激しいディズニーランドのよう、音楽のテーマパークを構築することに成功しているアルバムなのである。

 ロック・オペラなどと言われているが、基本的には各曲独立しており、それぞれの曲同士のあいだに内的なつながりは存在しない(ように思われる)。そのため、我々は5~9分で展開されるドラマにただ耳を傾ければ良いのである。
 有名なのはタイトルチューンの「地獄からの蝙蝠(Bat out of Hell)」。暗闇のなかバイクを飛ばす若者が事故って、薄れゆく意識のなかで彼が見たのは、まるで蝙蝠のように彼の体内から飛び出してゆく、彼の心臓であった、というストーリーを朗々と歌い上げる。文字にしてしまうと大したことないのだが(というかこのアルバムに収められている曲の歌詞は、だいたい他愛もないことが謳われている)、これが美しいメロディーに彩られ、ミートローフのドラマチックな美声で歌われると、なんとも言えないのである。

 「ダッシュボード・ライトのそばの天国(Paradise by the dashboard Light)」は、男女の掛け合いで展開してゆくアップテンポの曲である。舞台は、おそらく深夜の公演かどこか、車のなかでイチャイチャしている恋人同士、男の方は「誰も見てないから、ほら、もっと近寄って」と言う。女の子は「でも深夜は冷えるし心細いわ」男「ダッシュボード・ライトのそばに天国が見えるよ」女「でも私たち、17歳になったばかりだし…」男「いいじゃないか、もっと近寄って」とイチャイチャしているのが前半。ラジオの野球中継が流れ始め、その後ろに喘ぎ声が出始めたところで、急に曲が展開する。女の子は「ちょっとまって!これ以上続けるなら、一生愛してくれるのじゃなきゃダメ!」と言い、男の子は「とりあえず返事は明日の朝するからさ」と、のらりくらり。押し問答が続いて、結局男の子が「もう我慢出来ない!ああ!一生愛し続けるとも!」と叫び、お互い一生愛し続けようね!と大合唱。曲の盛り上がりも最高潮!このままエンディングかと思いきや、男が「というのは遠く過ぎ去った昔の話、いまより昔の方がずっと良かったなぁ」と嘆く。
 曲の前半では男の方が、「こんなに感じたことはない、こんなに良い気持ちは初めてだ。俺たちはまるでナイフの切っ先のように輝いている(It never felt so good, it never felt so right
And we're glowing like the metal on the edge of a knife)」と言って女の子を誘惑するが、このまったく同じセリフを、最後に女(昔日の女の子)の方が言うのである。
 なんとも皮肉の利いた曲だが、思想性は一切ナシ。純粋なエンターテイメントである。

 そう、ミートローフの曲は基本的に、思想的でない。難しいことはいいから、とことん楽しもうぜ!なのである(これはミートローフが、というよりも、作詞作曲のジム・スタインマンの資質なのかもしれないけど)。だから、甘いラブソングならとことん甘く、激しい曲ならとことん激しく、なのである。この辺りも、日本人に軽く見られる原因なのかもしれない。しかし、なにも考えずに、ただ良質のエンターテイメントに身を任せるのも良いものである。




2013年3月15日金曜日

ヤクラ、Jacula, "Tardo Pede in Magiam Versus"

Jacula, Tardo Pede in Magiam Versus, 1973
ヤクラ『サバトの宴』1973年


 イタリアン・プログレである。そのなかでも、かなりニッチな部類であるが、一説によるとDevil Dollが出てくるまで、この「おどろおどろしいプログレ」の分野における第一人者であったという。そりゃあ、類似アルバムが出ていないんだから、当然か。しかし日本語題『サバトの宴』とは、また吹かしたものである。自分はイタリア語に詳しくないが、明らかに雰囲気で付けた邦題だろう。とはいえ、それがまたなんとなく合っているような気もするのが始末に負えないところでもあるのだが。
 このヤクラというバンド、どうやら長らくこのアルバムのみしかリリースしていなかったようで、ずっと「珍盤」扱いされ、レコード市場では高値で取引されてきたという歴史があるという(自分が持っているのは、再販の紙ジャケCD版)。たしかに、ジャケ買いしてしまっても仕方ないほどの、独特の魅力を持っている。いや、魅力というよりも「毒」であろうか。

 内容としては、全6曲収録で、10分ほどの曲が3曲、5分ほどの曲が3曲と、プログレとしては標準的な作りである。アルバム全体にパイプオルガンがフィーチャリングされており、まるでバッハのような荘厳さを醸し出している。また、ヒステリックとも言える女性ボーカルが全曲に亘ってメインボーカルを取っており(ほぼボーカルなし、男性の語りのみという曲もある)、このボーカルの独特の雰囲気も相まって、ほかのプログレバンドとは一線を画すものが出来上がっている。また、英語に比べて母音が多く、力強さを感じ取れるイタリア語で歌われており、この辺りもヤクラの特徴のひとつになっていると言えるだろう。
 但し、このあまりにも強いコンセプトが、アルバム全体の広がりを邪魔しているように思われる部分もある。つまり、アルバム全体が統一されているのであるが、逆に、すべて同じ速度でのっぺりと進んでいくようにも感じられてしまうのである。もちろんよく聞いてみれば、必ずしも平板なわけでなく、しっかりと起伏が感じられる。「Jacula Valzer」などは、(三拍子ということを除けば)それほどワルツっぽくないが、フルートがフィーチャリングされており、後ろでほのかに響く女性コーラスなど、なにやら幻想的な雰囲気を醸し出している。それにもかかわらず単調に思われる理由として、やけにクラシカルな曲想のフォーマットに忠実である、という点もあるだろうか。基本的にチャーチオルガンとコーラス、女性ボーカル、そして不気味な語りというフォーマットが完成され過ぎており、収録曲それぞれの区別がつきにくいのである。これは、シングルヒットを生み出しにくいコンセプト・アルバムと呼ばれるものすべてに当てはまる悩みではないだろうか。
 つまり、この手のアルバムは、「何曲かが収録されたアルバム」ではなく、「アルバム一枚でひとつ」のものとして認識しなければならないのだろう。
 また、同様の雰囲気を持つバンドと比較すると、90年代に出たDevil Dollなどとも違っている。Devil Dollは確実に80年代以降の音楽を吸収しており、またアルバム全体をシアトリカルにまとめ上げるコンセプトが強かったが、70年代のヤクラは、まだ「歌もの」としての性格が強い。また、時代のせいなのか、イタリアという土地柄のせいなのか、「懐メロ的」というか、「ド演歌的」な要素が強い。これは、メロディーを重視するイタリア人気質なのかは知らないが。そのため、同様なコケ脅しゴシック趣味のCradle of Filthなどに比べると、メロウで歌い上げる感じが強い。

 このなかばカルト扱いされていたバンド、ヤクラであるが、実は2001年にセカンドアルバム、2011年にサードアルバムを発表している。こちらの方は未聴であるが、21世紀にもなって、このイタリアン・ジャッロ的なコケ脅し怪奇趣味(誉め言葉)を継続しているのかは、興味があるところである。