ドクター・フー、シーズン1、第3話「にぎやかな死体」
Doctor Who, Season 1, ep.2, "The Unquiet Dead," 2005年4月9日イギリス初放送
第2話の感想はこちら
ドクター・フーの第3話。
第1話は導入、第2話は未来と来て、第3話は過去と、割と定石通りの作り。
今回タイムスリップする先は1869年12月24日のカーディフ。
カーディフって名前は聞いたことあるけど、詳しく知らないなぁ。どんなとこだ?と思ったら、ウェールズの首都らしい。果たしてウェールズがイギリス全体のなかでどういう位置付けかは知らないが、まぁあまりオシャレなところではないのだろう。イギリスのなかでもイングランド以外は激しい抵抗をしていたわけだし、複雑な民族感情というものもあるのだろう。また今回出演したキャスト、葬儀屋のゲイブリエル・スニードと召使のグウィネスがえらい訛ってるなぁと思ったら、二人とも役者さんウェールズ出身なのね。グウィネス役のイヴ・マイルズはドクター・フーのスピンオフ、『トーチウッド』にも出演しているらしい。しかも『トーチウッド』の舞台はこのカーディフだとか。
たしかに、このドクター・フーも最後のクレジットに出る制作がBBC Walesだったし、なぜにウェールズ?と思っていたけど、本当にBBCウェールズが作っているのかね?
しかしまぁ、この二人のウェールズ訛りはすごいもんだね。イギリス人は分かるのかな?
ドクターも北部訛りがとか言われてたけど、北部ってスコットランド?ドクターの英語にはスコットランド訛りがあるってことなのかな?ドクターの役者、クリストファー・エックレストンはランカシャーの生まれらしいけど、このランカシャーってのが北部ってことなのかな?ランカシャーはスコットランドじゃなくて、「イングランド北部」だけど、北部訛りってそういうこと?方言はかなり気になるので、今度詳しく調べてみよう。
さて、最初は1860年のナポリとか言っていたが、結局着いたのは69年のウェールズ。
着いてみるとそれはそれで風情がある感じ。それなりに時代劇的に描いているけど、本当はもっともっと汚かったんだろうねぇ。ロケじゃなくてスタジオ撮影?
舞台はこのスニードが経営する葬儀屋で、死体が起き上がるという事件が発生。死体のなかにエクトプラズムみたいなものが入って起き上がる。逃亡した死体は、ちょうど講演会に訪れていたチャールズ・ディケンズのもとに行く。そこで大暴れして、ひょんなことからドクター、ローズ、ディケンズと一緒に、スニード葬儀社の死体起き上がり事件の解決に乗り出すという話。
最終的に、このエクトプラズムたちはゲルスという存在だということが分かるのだが、こいつらはいったい何者だったんだ?エイリアン?しかし、ゲルスの依代になろうとしたグウィネスに憑りついて本性を現すシーンはなかなかに圧巻。ドクターとローズが奥の部屋に閉じ込められて、金網からゾンビたちが手を伸ばしてくるシーンは、絶対になにかゾンビ映画のオマージュだと思うけど、自分はゾンビ映画に詳しくないので、ちょっと分からなかった。
このグウィネスは、どうやら他人の心を読むという特殊能力を持っていたようで、ローズと話しているときにもいろいろ彼女の心を読んでいた。それによると、やはりローズの父親は亡くなっているよう。じゃあお母さん、いまなにしてるんだ?無職?
また、最後に「バッド・ウルフ!?」と怯えていたが、Wikipedia英語版によると、これは後で発覚する伏線ということらしい。ネタバレが嫌なので詳しく読んでいないので、内容までは分からないけど。
ラストシーン、このすさまじい体験を経たディケンズは、「自分は何も知らなかった!」と言って、意気込みも新たに、いま書いている小説の続きを書くぞ、と決心するのだけど、どうやらディケンズは1870年6月9日に亡くなるということで、劇中でも触れられていた『エドウィン・ドルードの謎(The Mystery of Edwin Drood)』は未完のまま残されたらしい。劇中でディケンズは、「犯人を叔父じゃなく幽霊にするぞ!」と言っていたが、どうやら『エドウィン・ドロッド』における殺人犯が誰かということは、長い間議論の対象になっているらしく、その辺りを絡めてあるのだろう。自分はディケンズ、それほど詳しくないので、それほどこのネタにドキドキ出来なかったけど、イギリス人からすると「あー、あれね!」という感じなのだろうか。日本人だと、夏目漱石が『明暗』のラストを主人公に伝えるとか、そんな感じか。ドストエフスキーが『カラマーゾフ』第二部の原稿を主人公に渡すとか。それなかものすごく興奮する。なんていうネタの最高峰が、アリストテレス『詩学』第二部を題材にしたウンベルト・エーコ『薔薇の名前』だろうか。あれは映画版もいいけど、断然小説版の原作が良い。映画版は怪奇人間大集合といった趣が強いけど(映画版ももちろん傑作だけど)、映画版だと肝心の謎解きの部分が割とあっさりしていて、そこが残念(もちろん原作のあんなネタ、映画で出来ないのは当然なんだけど)。
最後、ディケンズが、「神の祝福あれ、我ら全員に!(God bless us, everyone!)」というのは、『クリスマス・キャロル』のスクルージからの引用らしい。
この回は、知らなくても楽しめるけど、ディケンズや当時のイギリスの社会風俗に詳しいと、もっと楽しめたんじゃないかなぁ。
コスモスとアンチコスモス
2013年10月3日木曜日
『ドクター・フー』シーズン1、第2話「地球最後の日」
ドクター・フー、シーズン1、第2話「地球最後の日」
Doctor Who, Season 1, ep.2, "The End of the World," 2005年4月2日イギリス初放送
第1話の感想はこちら
ドクター・フーの第2話。
前回の終わりでドクターと一緒に行くことを決意したローズは箱型タイムマシン「ターディス」に乗り込むが、まず最初の行先は50億年後、地球最後の日。
最初どこへ行くかというシーンで、未来を所望するのはいいけど、100年後はべつに驚かない、じゃあ1万年後…といって、ずんずんダイヤルを回していって、最終的には50億年後に着くのだが、新ローマ帝国、見てみたい。ローズ、そういうのには興味ないのか?
扉を開けてみたらばそこは…地球軌道上に浮かぶ宇宙ステーションのなか、いまかいまかと地球最期の瞬間を待ちわびるゲストたちが集まっていた…。ということだが、やはり子供向けだからなのか、この宇宙ステーションの内装が、なんだか期待外れ。50億年後っていったら、もっと人間離れしてるんじゃないの?って思うが、あまりにも奇抜で、視聴者の理解の範疇を越えたデザインにするといけないという判断なんだろう。
それと同じく、登場するエイリアンたちのデザインも、まぁなんというか凡庸な感じ。悪くはないんだけどね。顔だけの異星人なんか(Face of Boe、ボーの顔)、なかなか面白い。ただ、この辺りのエイリアンのデザインは、デヴィッド・リンチの『デューン 砂の惑星』の方がすさまじいかなぁ。あれは映画としてはダイジェストなうえにまとまりがなくて、原作を読んでいないと理解不能な代物だったけど(もしくは、ものすごく金のかかったプロモーションビデオ)、ドクター・フーのデザインは、どちらかというと、スターウォーズ寄りかな。ヒューマノイドタイプが多いところとか。もちろんクオリティはスターウォーズの方が圧倒的に高いんだけど。
しかし、「最後の人類」こと、カッサンドラの造形はなかなか面白かった。よく未来の人類のデザインは?なんて言われて、いわゆる「グレイ」みたいなのが連想されるけど、ここまで極端な造形にまで突き抜けてしまうと面白い。手も足も全部なくしてしまうというのはすごい。自分だったら、機械を操作するためにでも、指の一本は残しておくと思うけど…。
ストーリーとしては、地球最後の日を見学するために50億年後の地球(軌道上)を訪れたドクターとローズは、地球最後の瞬間を見学するためのイベントに参加する。そこには宇宙各地からさまざまなセレブが訪れていた。最後の人類カッサンドラも含めて。しかしその水面下では恐るべき陰謀が進められていた…。というもの。
この宇宙ステーションの職員を演じる青い肌の宇宙人たちは、外見的にはそれなりに面白いのに、なんというかメンタリティがあまりにも人間的ですこしガッカリ。
木人のジェイブがなかなかいい味を出している。彼女は今回だけで再登場はないのかな?いい人(?)だったので、すこし残念。しかし彼女がドクターを「タイム・ロード(Time Lord)」と言ったのはどういうこと?「時の君主」って、それは種族名なのだろうか?どうやらドクターはこのタイム・ロードの最後の生き残りということのようだが…。
ラストシーン、現代に戻ったローズとドクター。最後にローズが言う、「食べられなくなるまで、あと50億年しかないんだから」というセリフ、なぜかちょっと感動してしまった。
第3話の感想はこちら
Doctor Who, Season 1, ep.2, "The End of the World," 2005年4月2日イギリス初放送
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ドクター・フーの第2話。
前回の終わりでドクターと一緒に行くことを決意したローズは箱型タイムマシン「ターディス」に乗り込むが、まず最初の行先は50億年後、地球最後の日。
最初どこへ行くかというシーンで、未来を所望するのはいいけど、100年後はべつに驚かない、じゃあ1万年後…といって、ずんずんダイヤルを回していって、最終的には50億年後に着くのだが、新ローマ帝国、見てみたい。ローズ、そういうのには興味ないのか?
扉を開けてみたらばそこは…地球軌道上に浮かぶ宇宙ステーションのなか、いまかいまかと地球最期の瞬間を待ちわびるゲストたちが集まっていた…。ということだが、やはり子供向けだからなのか、この宇宙ステーションの内装が、なんだか期待外れ。50億年後っていったら、もっと人間離れしてるんじゃないの?って思うが、あまりにも奇抜で、視聴者の理解の範疇を越えたデザインにするといけないという判断なんだろう。
それと同じく、登場するエイリアンたちのデザインも、まぁなんというか凡庸な感じ。悪くはないんだけどね。顔だけの異星人なんか(Face of Boe、ボーの顔)、なかなか面白い。ただ、この辺りのエイリアンのデザインは、デヴィッド・リンチの『デューン 砂の惑星』の方がすさまじいかなぁ。あれは映画としてはダイジェストなうえにまとまりがなくて、原作を読んでいないと理解不能な代物だったけど(もしくは、ものすごく金のかかったプロモーションビデオ)、ドクター・フーのデザインは、どちらかというと、スターウォーズ寄りかな。ヒューマノイドタイプが多いところとか。もちろんクオリティはスターウォーズの方が圧倒的に高いんだけど。
しかし、「最後の人類」こと、カッサンドラの造形はなかなか面白かった。よく未来の人類のデザインは?なんて言われて、いわゆる「グレイ」みたいなのが連想されるけど、ここまで極端な造形にまで突き抜けてしまうと面白い。手も足も全部なくしてしまうというのはすごい。自分だったら、機械を操作するためにでも、指の一本は残しておくと思うけど…。
ストーリーとしては、地球最後の日を見学するために50億年後の地球(軌道上)を訪れたドクターとローズは、地球最後の瞬間を見学するためのイベントに参加する。そこには宇宙各地からさまざまなセレブが訪れていた。最後の人類カッサンドラも含めて。しかしその水面下では恐るべき陰謀が進められていた…。というもの。
この宇宙ステーションの職員を演じる青い肌の宇宙人たちは、外見的にはそれなりに面白いのに、なんというかメンタリティがあまりにも人間的ですこしガッカリ。
木人のジェイブがなかなかいい味を出している。彼女は今回だけで再登場はないのかな?いい人(?)だったので、すこし残念。しかし彼女がドクターを「タイム・ロード(Time Lord)」と言ったのはどういうこと?「時の君主」って、それは種族名なのだろうか?どうやらドクターはこのタイム・ロードの最後の生き残りということのようだが…。
ラストシーン、現代に戻ったローズとドクター。最後にローズが言う、「食べられなくなるまで、あと50億年しかないんだから」というセリフ、なぜかちょっと感動してしまった。
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2013年10月1日火曜日
『ドクター・フー』シーズン1、第1話「マネキン・ウォーズ」
ドクター・フー、シーズン1、第1話「マネキン・ウォーズ」
Doctor Who, Season 1, ep. 1, "Rose," 2005年3月26日イギリス発放送
ドクター・フーとは、イギリスで1963年から放送されているテレビ番組であり、これはそのリバイバル版。どうやら1989年までで一旦その放送の幕を下ろしているのだが、その後一度のテレビ映画を挟み、その後再開したテレビシリーズが本作らしい。
なので、イギリスの人にとってはものすごく懐かしいのだろうが、自分は旧作のドクター・フーを見ていないので、その懐かしさを共有することは出来ない。残念。現代のイギリスの刑事が1973年にタイムスリップするドラマ、『Life on Mars』でも、未来のことが分かると言う主人公にたいして「あなたもしかしてドクター・フーなの?」と言われるシーンがあったが、これを指しているのか。1973年の時点でも放送から10年たっている長寿番組だったわけか。
それで、今作はそのリバイバル版だが、どうやらリメイクではなく、普通に続編ということらしい。詳しいことはよく分からないのだが、ここで出てくるのは9代目ドクターということらしいので、緩やかにストーリーはつながっているのだろう。しかし、これまでの放送を見ていないと理解出来ないということもなく、基本的には初見に優しい造りになっている。もちろん古くからの視聴者はより楽しめる造りになっているのだろうけど。
その記念すべき第1話は「マネキン・ウォーズ」。なんともセンスのない邦題である。原題は「Rose」。ここに出てくる主人公のローズ・タイラーの名前から取っているのだろう。べつに邦題も「ローズ」で良かったのにと思うのだが。
そのローズはロンドンで働く若い女性。大学は出ておらず、とくに未来に展望もない。彼氏は黒人というのが2005年という感じがしたが。デパートの服飾店で働いているようなのだが、店員の制服とか、そのブランドの服とかはないのだろうか?普通に普段着で働いていたように思うけど。それとも、普段着ブランドのお店なのだろうか?ユニクロとかGAP的な。
そのローズが退社際に警備員から荷物を渡され(鍵かなにかか?英語版Wikipediaによれば売上金らしいが)、警備主任にそれを届けるために地下倉庫に行くところから事件が始まる。
誰もいない地下ヤードで主任を探すが、閉じ込められ、動き出したマネキンに襲撃される。そこをドクターと名乗る不思議な男に助けられるが、彼はマネキンを倒すためにデパートを爆破すると言う。ドクターに促されひとりでデパートを逃げ出したローズは、デパートが火を上げ爆発するのを少し離れた場所で茫然と見上げる…。
2005年という時代があるのか、それとももともと「子供向け番組」であったということも起因するのか、まぁなんというかCGがややチャチい。2005年ってもっとCG技術あったでしょ?
テレビだから予算が少なかったのか?
このCGのしょぼさが全体的に「作り物感」を上げている。まぁ安心して楽しめるドラマというのが売りなのだろうから、それでも良いのだけど。
名前の出てくる登場人物は少なく、基本的に4人(+1?)。
ドクター・フーは正体不明の男。ローズに対してあまり細かいことを説明しないまま物事をどんどん進めていく。自らをエイリアンと言ったりしているが、どうやらタイムトラベラーということらしい。現代の人間を「猿」と言ったりしているため、やや過去の人間を軽く見ている?
しかしLife on Marsも、最近のSherlockもそうだけど、何と言うか「イギリス人ってこういう俳優好きだな~」という感じ。決して美男子ではないけど、イギリスっぽくて好き。
ローズ・タイラーは(元)デパートの店員。ドクターがデパートを爆破したせいで無職になり、ドクターの正体を探るうちにいろいろな事件に巻き込まれていく…。ムッチリしていて、正統派美少女という感じではなく、ややアクがあるのだが、そのアクが良い。ダサ可愛い。ローズを演じるビリー・パイパーは82年生まれだから、当時23歳。劇中ローズも同じ年だとすれば、高卒で働く女性としては、いろいろ閉塞感も生まれてくる年齢なのだろうか。運動だけは得意!という設定はややありきたりなようにも感じたが、全体的に好感の持てるキャラクターである。後ろから見たときの腰から下のズドンとした野暮ったい感じが、いかにも普通の女の子といった感じで良い。最後彼氏のミッキーに「ありがとう、なぜかは分からないけど」というところ、なんとなく切なくなった。
ミッキーはローズの彼氏。白人女性の彼氏が黒人青年というのは、時代を感じる。まぁ実際の現代のロンドンは黒人というよりも、インド、パキスタンからの移民がかなり目立つようになったらしいが。ロンドンも立派な多民族都市なのだろう。東京もそうだが。このミッキー、なんというか、軽薄でお調子者でという、黒人キャラの典型のような造形。途中聞き込みにいくローズに嫉妬したりと、年相応の感じはあるが。しかしこのミッキー、危機に対して全然役に立たないキャラとして描かれている!もっと頑張れよ~。そんなんだからローズに愛想付尽かされてしまうんだろ。
ローズの母は、なんというか、「ローズのどうしようもない現状」を説明するためだけに配置されているようなダメキャラ。いったい何をしている人なのだろう?父親の描写はなかったので、母子家庭?すると、この母親もどこかで働いているのだろうか?若いころは美人だったんだろうなぁ、そしていまも自分は「メス」として戦えると思っているんだろうなぁ、しかし周囲の認識とのギャップに付いていけてないんだろうなぁという感じが、嫌なベクトルでリアル。たまたま家に来たドクターを誘惑しようとしたり、なんというか欲求不満な感じが伝わってくる。こういうひと、いるよね!と頷きたくなってしまうリアリティがあるが、このリアリティに喜ぶひとっているのかな?
そしてクライヴというドクター研究家の男性。家族もいるが、いったい生業はなんなんだ?ドクター研究家って職業か?この人、後半のマネキン襲撃シーンでマネキンに襲われてしまったが、今回限りのモブキャラなのだろうか…。
プラスティックを操ることの出来る宇宙人、ネステンが敵役で登場したが、溶岩魔人?ここもややCGとの合成が甘く感じてしまった。
現代の目から見ると、ややCGが甘いかなという気もするが、総じて出来の良い、優れたドラマだと思う。
第2話の感想はこちら
Doctor Who, Season 1, ep. 1, "Rose," 2005年3月26日イギリス発放送
ドクター・フーとは、イギリスで1963年から放送されているテレビ番組であり、これはそのリバイバル版。どうやら1989年までで一旦その放送の幕を下ろしているのだが、その後一度のテレビ映画を挟み、その後再開したテレビシリーズが本作らしい。
なので、イギリスの人にとってはものすごく懐かしいのだろうが、自分は旧作のドクター・フーを見ていないので、その懐かしさを共有することは出来ない。残念。現代のイギリスの刑事が1973年にタイムスリップするドラマ、『Life on Mars』でも、未来のことが分かると言う主人公にたいして「あなたもしかしてドクター・フーなの?」と言われるシーンがあったが、これを指しているのか。1973年の時点でも放送から10年たっている長寿番組だったわけか。
それで、今作はそのリバイバル版だが、どうやらリメイクではなく、普通に続編ということらしい。詳しいことはよく分からないのだが、ここで出てくるのは9代目ドクターということらしいので、緩やかにストーリーはつながっているのだろう。しかし、これまでの放送を見ていないと理解出来ないということもなく、基本的には初見に優しい造りになっている。もちろん古くからの視聴者はより楽しめる造りになっているのだろうけど。
その記念すべき第1話は「マネキン・ウォーズ」。なんともセンスのない邦題である。原題は「Rose」。ここに出てくる主人公のローズ・タイラーの名前から取っているのだろう。べつに邦題も「ローズ」で良かったのにと思うのだが。
そのローズはロンドンで働く若い女性。大学は出ておらず、とくに未来に展望もない。彼氏は黒人というのが2005年という感じがしたが。デパートの服飾店で働いているようなのだが、店員の制服とか、そのブランドの服とかはないのだろうか?普通に普段着で働いていたように思うけど。それとも、普段着ブランドのお店なのだろうか?ユニクロとかGAP的な。
そのローズが退社際に警備員から荷物を渡され(鍵かなにかか?英語版Wikipediaによれば売上金らしいが)、警備主任にそれを届けるために地下倉庫に行くところから事件が始まる。
誰もいない地下ヤードで主任を探すが、閉じ込められ、動き出したマネキンに襲撃される。そこをドクターと名乗る不思議な男に助けられるが、彼はマネキンを倒すためにデパートを爆破すると言う。ドクターに促されひとりでデパートを逃げ出したローズは、デパートが火を上げ爆発するのを少し離れた場所で茫然と見上げる…。
2005年という時代があるのか、それとももともと「子供向け番組」であったということも起因するのか、まぁなんというかCGがややチャチい。2005年ってもっとCG技術あったでしょ?
テレビだから予算が少なかったのか?
このCGのしょぼさが全体的に「作り物感」を上げている。まぁ安心して楽しめるドラマというのが売りなのだろうから、それでも良いのだけど。
名前の出てくる登場人物は少なく、基本的に4人(+1?)。
ドクター・フーは正体不明の男。ローズに対してあまり細かいことを説明しないまま物事をどんどん進めていく。自らをエイリアンと言ったりしているが、どうやらタイムトラベラーということらしい。現代の人間を「猿」と言ったりしているため、やや過去の人間を軽く見ている?
しかしLife on Marsも、最近のSherlockもそうだけど、何と言うか「イギリス人ってこういう俳優好きだな~」という感じ。決して美男子ではないけど、イギリスっぽくて好き。
ローズ・タイラーは(元)デパートの店員。ドクターがデパートを爆破したせいで無職になり、ドクターの正体を探るうちにいろいろな事件に巻き込まれていく…。ムッチリしていて、正統派美少女という感じではなく、ややアクがあるのだが、そのアクが良い。ダサ可愛い。ローズを演じるビリー・パイパーは82年生まれだから、当時23歳。劇中ローズも同じ年だとすれば、高卒で働く女性としては、いろいろ閉塞感も生まれてくる年齢なのだろうか。運動だけは得意!という設定はややありきたりなようにも感じたが、全体的に好感の持てるキャラクターである。後ろから見たときの腰から下のズドンとした野暮ったい感じが、いかにも普通の女の子といった感じで良い。最後彼氏のミッキーに「ありがとう、なぜかは分からないけど」というところ、なんとなく切なくなった。
ミッキーはローズの彼氏。白人女性の彼氏が黒人青年というのは、時代を感じる。まぁ実際の現代のロンドンは黒人というよりも、インド、パキスタンからの移民がかなり目立つようになったらしいが。ロンドンも立派な多民族都市なのだろう。東京もそうだが。このミッキー、なんというか、軽薄でお調子者でという、黒人キャラの典型のような造形。途中聞き込みにいくローズに嫉妬したりと、年相応の感じはあるが。しかしこのミッキー、危機に対して全然役に立たないキャラとして描かれている!もっと頑張れよ~。そんなんだからローズに愛想付尽かされてしまうんだろ。
ローズの母は、なんというか、「ローズのどうしようもない現状」を説明するためだけに配置されているようなダメキャラ。いったい何をしている人なのだろう?父親の描写はなかったので、母子家庭?すると、この母親もどこかで働いているのだろうか?若いころは美人だったんだろうなぁ、そしていまも自分は「メス」として戦えると思っているんだろうなぁ、しかし周囲の認識とのギャップに付いていけてないんだろうなぁという感じが、嫌なベクトルでリアル。たまたま家に来たドクターを誘惑しようとしたり、なんというか欲求不満な感じが伝わってくる。こういうひと、いるよね!と頷きたくなってしまうリアリティがあるが、このリアリティに喜ぶひとっているのかな?
そしてクライヴというドクター研究家の男性。家族もいるが、いったい生業はなんなんだ?ドクター研究家って職業か?この人、後半のマネキン襲撃シーンでマネキンに襲われてしまったが、今回限りのモブキャラなのだろうか…。
プラスティックを操ることの出来る宇宙人、ネステンが敵役で登場したが、溶岩魔人?ここもややCGとの合成が甘く感じてしまった。
現代の目から見ると、ややCGが甘いかなという気もするが、総じて出来の良い、優れたドラマだと思う。
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マリス・ミゼル『ヴォワヤージュ』、Malice Mizer『Voyage』
Malice Mizer, 『Voyage』1996年
90年代後半はビジュアル系の時代だった。
90年代はバブル崩壊のあとの不景気などと言われながら、日本でCDが一番売れた時代でもあった思われる。おそらく、なんだかんだ不景気だと言っても、バブル景気による購買の雰囲気と、またインターネットがいまだ一部のマニアのものであったということもあるだろう(2000年代初頭で、ようやく常時接続が可能になってきた感じだ)。
そんなJ-Pop最期の輝きの時代に咲いた時代の仇花が二つある。小室ミュージックとビジュアル系である。両方とも、90年代を象徴する音楽と言って良いだろう。小室哲哉はその後すったもんだがあり、大変なことになったが、ビジュアル系も最盛期は90年代後半だろう。
ビジュアル系そのものは現在も健在であるが(余談だが新宿タワレコはなぜビジュアル系の階をJ-Popと分けている?隣はアイドルとジャニーズだから、そういうくくり?)、90年代後半には、まさに雨後の竹の子の如く新バンドがメジャーデビューしていった。
ビジュアル系がどこから始まるか、という論争は一時期(一部で)盛んに行われたが、個人的にはX(後のX Japan)をビジュアル系の始祖とするにはやや異論がある。もちろんYoshikiの紡ぎ出す幻想的世界観(Blue BloodのRoes of Painは耽美というよりプログレ的ですらある)や、あの強烈なビジュアル、そしてHideの言葉を基にしたと言われる「ビジュアル」という言葉など、さまざまな意味でビジュアル系がXを元祖としていることに疑いはない。ただ、自分としては、むしろXの弟分であったLuna Seaの方が、後の「ビジュアル系」と言われるテンプレートに近い姿をしていたように思う。売れると化粧が薄くなってポップな歌を歌い始めるところも…。
さて、そのビジュアル系の歴史のなかでも、やや後発組に位置するのがこのMalice Mizerであろう。本作『Voyage』は1996年であるがインディーズ作品で、同年にはGlayが名盤『Beloved』を発表、97年にはX Japanが解散し、Glayがベスト盤『Review』を出し、L'arc~en~cielは復帰第一弾として『虹』を発表した。世間的にはGlayかラルクかといった感じで、この辺りから実力を持ったインディーズバンドのメジャーデビューが一気に進むことになる。La'cryma Christi、Shazna、Fanatic Crisisなどは97年にメジャーデビュー。Malice Mizerのメジャーシングル『ヴェル・エール』も97年なので、この辺りにドバっとデビューしている感じである。だいたい97年あたりから99年ぐらいまでの3年ぐらいが、まぁビジュアル系の第一次ブームだったんじゃないだろうか。
そしてこの『Voyage』、97年のメジャーデビューを翌年に抱えた96年の作品ということで、いまから思えばかなりの時代物である。しかし侮るなかれ、個人的にはこの『Voyage』、メジャーアルバムの『Merveille』に勝るとも劣らない名盤である。
しかし…、本作には大きな問題がある…。
それは、音作りがショボイ、ということである!
もう、これほど新録して欲しいと思ったアルバムはない!楽曲そのものは素晴らしいのだが、結局こういう大げさなシアトリカルロックバンドって、どうしてもオーケストラなんかをバックに必要とするわけで、そうなるとどうしても資金力が必要になってしまうのではないだろうか。
単純にアレンジが下手という問題もあるかもしれないが。
実際、メジャーデビューし、Glayも手掛けた元四人囃子の佐久間正英がかかわった『Merveille』の出来は素晴らしい。楽曲の魅力では決して劣るわけではないので、その辺りが非常に惜しい…!
内容は、1曲目のインスト「闇の彼方へ~」でおどろおどろしく始まり、流れるように2曲目「Transylvania」へ。この流れはありがちでもあるが見事である。題名の通り吸血鬼を題材に取ったシアトリカルな曲であるが、まぁ歌詞の方はそれっぽい言葉を並べただけの雰囲気曲と言ってもいいかな…。曲も単調で、それほど見るべきものはないかも。
3曲目「追憶の破片」はピアノソロから始まり、二本のギターが絡み合うイントロへと流れて行く。こういうタイプの曲ってピアノ(スロー)⇒ギター(アップテンポ)というのが普通だが、この曲はずーっとミドルテンポのまま進んでゆく。ちょっと不思議な感じ。当時Gacktはインタビューなんかで、小さいころ沖縄の海で溺れたときの体験をもとにしていると言っていたように思うが、どうなんだろうか…?それ以降霊感が付いて、ほかの人に見えないものが見えるようになったとも言っていたけど。それ以降自分は臨死体験の歌として聞いているが…。まぁ、いろんな解釈があるってことで。しかし、『Voyage』前半の盛り上がりどころであることも確か。
4曲目「premier amour」は何と言うかさわやかな曲。題名も「ハツコイ」だしね。やはりバッキングのシンセがちょっと安っぽいなぁ。歌詞もなんというか他愛もないんだけど、このアルバムは、じつはこういった小品が良かったりする。
5曲目「偽りのmusette」は「偽りの」なんて言われているけど、曲調はフランスのミュゼッとをパロディにしたような感じ。外国語を直訳したような、変な日本語の歌詞も曲調に合っていて、なかなか面白い作品。
6曲目「N・p・s N・g・s」は、No pains, No gains「労なくして得るものなし」という諺からか。なんともアヴァンギャルドで二転三転する曲調だが、面白い。ただ、やはりサウンドがどうしてもショボイ。メジャーになった後のシングル『Illuminati』にカップリングとして再録されたが、そちらは音作りが格段に良くなっている。やはりアレンジャーの力か…。あと、歌詞の「die game」って「death game」の間違いじゃない?って昔雑誌記者に聞かれてたら、「いや、あれはdieで合っている、つまり劇的に死ねって意味なんだ」ってGacktは答えてたけど、それだと「die gamely」だろう。若かった自分は「ほぉー、そうなんだ、Gacktすごいな~」って信じてたけど、嘘情報だった。
7曲目「claire~月の調べ~」は、古い映画音楽のような、チリチリとしたノイズと共にドラクエのほこらの音楽が始まり…。曲自体は割と普通、というか、ポップスといっても全然問題ない。メロディーも聞いていて楽しく、のちのau revoireにもつながるような雰囲気(まぁこっちは、ロックと言うより歌謡曲的ではあるが)。まぁGacktのフランス語の発音が壊滅的なのは、ご愛嬌ということで。
8曲目「Madrigal」は題名がマドリガルだけど、これ、曲調はマドリガルなのか…?イントロはクラシカルというか、ストリングスが入り「おっ」と思うが、曲そのものは普通。普通のラブソング。しかしこの普通のラブソングの方が、Gacktの歌詞は生き生きしているように思う。後のソロ活動を見ていると、こっちの方が彼の本質に近かったのかもなぁ。愛すべき佳曲。
9曲目「死の舞踏」は実質このアルバムのラスト。シンデレラ伝説をモチーフにした曲で、のちの「ヴェル・エール」なんかにもつながる、シアトリカル・ロックの名曲である。もちろん本アルバムのハイライトでもある。ツインギターがバッハのように絡み合うイントロは「追憶の破片」もそうだけど、Malice Mizerってテクニックで売るバンドじゃないんだなぁということを再確認させる(つまり、べつに上手くない!)。だけど、曲調と合っていればいいじゃない!ってことで、なんとなくPink Floydを思わせるポジションだなぁ。劇的な展開、途中の転調、絡み合うロックなギター、幻想的な世界観と、「ヴェル・エール」でやったことはすでにこのときに完成していたと言っても過言じゃないと思う。世界観としてはこちらの方がむしろ好きかな。しかし惜しむらくは、「ヴェル・エール」の方が格段にサウンドが良いのだ!まぁサウンドが厚ければいいってもんじゃないけど、「ヴェル・エール」のアレを聞いてしまうと、なんというか勿体ない気持ちになってしまうのだ…。このオリジナル・メンバーでの再録は絶対にあり得ないという点も、余計に聞きたいという気持ちにさせるのかも。
10曲目、ラスト「~前兆~」はピアノとドラムのアンサンブル。「死の舞踏」で盛り上がっての「~前兆~」ということで、一種のチルアウトみたいなものか。しかし、ここまで盛り上げてきての、このリラックス具合は見事。アルバム全体としての構成もものすごく練られていると言っていいだろう。
この名盤を残して、Malice Mizerはインディーズをあとにし、ビジュアル系群雄割拠のメジャー・シーンに乗り込んでゆく。
2013年9月30日月曜日
丸尾末広『夢のQ-SAKU』 Maruo Suehiro, "Yumeno Q-SAKU"
丸尾末広『夢のQ-SAKU』1982年
『夢のQ-SAKU(Yumeno Q-SAKU)』is Maruo Suehiro's second issue (For his first collection, see this post). The title is derived from 夢野久作(Yumeno Kyûsaku, 1889-1936), a detective writer in Taishô and early Shôwa era. Yumeno Kyûsaku is a pen name and that means 'dream chaser' or like that. His surrealistic detective novel, 『ドグラ・マグラ(Dogura Magura)』is considered as one of the most famous avant-garde detective novel in Japan (I can't explain what it is like. It doesn't resemble to nothing, its uniqueness is towering even today).
This collection is also published in 1982, so the content of the book is quite similar to his first collection, Bara-iro no Kaibutsu (1982). Sadism, perversion, homosexual, incest...
This book contains almost all vices in the world, but express some kind of lyricism as well. (Note that this book treats very erotic situations, but you cannot expect this book such kind of role, yes indeed, never.)
This book contains:
「学校の先生(Gakkou no Sensei: Teacher of School)」: This leading story is an homosexual sketch. We cannot see explicit sexual scene here. We can notice easily that this is inspired by a film Death in Venice (1971) directed by Luchino Visconti. The teacher is quite alike to Dirk Bogarde. But there is no Björn Andrésen here. The opposite in this story is not beautiful homme fatal, but young mysterious Don Juan. When the Don Juan (he is a trapeze performer in a circus) is performing a trapeze, we can see the onomatopeia, 「ゆやーん、ゆよーん、ゆやゆよん(yuyân yuyôn yuyayuyon)」which is derived from Japanese poet 萩原朔太郎(Hagiwara Sakutarô, 1886-1942)and it represent the sound made by trapeze.
「笛吸童子(Fue Sui Douji: Flute Sucking Childe)」: This short story is also homosexual. This is hardly a story, it's a kind of imaginary scenery. The title is maybe inspired by a Japanese radio and TV drama, 『笛吹童子(Fue Fuki Douji: Flute Playing Childe)』.
「ウンコスープの創り方(Unko Sûpu no Tsukuri-kata: How to make a shit soup)」: This is an adaptation of Histoire de l'oeil (1928), by George Bataille. Two boys and one girl plays in a room and finally drop into a sea riding on a mine-train.
「ハツコイ 壱萬壱千鞭譚(Hatsukoi Ichiman Issen Muchi-tan: First love, the Story of Eleven thousand whips)」: The subtitle of this story is maybe inspired by Les Onze Mille Verges (1907) by Guillaume Apollinaire, but has no factual relationship. This is a story of femme fatale. A boy peeps the lady next door. His father finds him peeping and scolds him hardly. But his father and the lady has a relationship. His father was a masochist...
「童貞厠乃介パラダイス(Dôtei Kawaya-no Suke Paradise)」: This is a second story of Kawaya-no Suke Trilogy (The first one is included in Bara-iro no Kaibutsu). Kawaya-no Suke lives in a toilet no more. He is a vagabond now. His piss attracts women and hypnotize them. He takes girls to the bandits and perhaps sells them.
「せんずり千太(Senzuri Senta: Jack off Senta)」:This is a quite strange story. This has a format that a narrator tells his story (maybe his memory?). But the content of the story is so strange that we cannot explain what it is. If anything, this is a catalog of sexual perversion of a family named Inugami-ke (The name Inugami-ke(犬神家) is peut-être derived from the famous detective story 『犬神家の一族(Inugami-ke no Ichizoku: The lineage of the house Inugami)』by 横溝正史(Yokomizo Seishi)). This story has some kind of comedy feeling.
「地獄の一季節(Jigoku no Ichi Kisetsu: A season in the Inferno)」: We cannot explain the content of the short sketch. This in not a story, but rather imaginary scenery. Or we call the style of this sketch, 'Confession.' The Slug in this sketch which metamorphose voluntarily, is maybe inspired by ムーピー(Mûpî), which is an amorphous blob appearing in famous Manga series, 『火の鳥(Hi no Tori)』by 手塚治虫(Tezuka Osamu, 1928-1989).
「美しい日々(Utsukusii Hibi: Beautiful Days)」: This in not a story. This is a kind of illustrated poem.
「きん玉のにぎり方(Kintama no Nigiri-kata: How to grab a ball)」: This is a parody of a old fashioned 'How-to-sex' of lady's magazine in a pre-war time. This 'how-to' teaches the way to play pervert sex.
「不能少年(Funou Shônen: Impotent Boy)」: This is a imagery story. Maybe this is an apparition seen by a boy, or a real thing?
「腐った夜 エディプスの黒い鳥(Kusatta Yoru Edipusu no Kuroi Tori: Rotten Night, Black Bird of Oedipus)」: This story is an adaptation of a horror story 「芋虫(Imomushi: The Worm)」 (1929), by 江戸川乱歩(Edogawa Ranpo, 1894-1965). (Maruo actually comicalizes "Imomushi" later.) There is a young beautiful girl. She has a father, but her father is maimed (maybe by a war), and has no legs and arms, and speaks nothing. She has a boyfriend, but between she and her father, there is a strange form of love...
「月食病院(Gesshoku Byôin: The Hospital of Lunar Eclipse)」: This, factually last story of this book, is a surrealistic and strangely erotic one. The scene is a hospital with a moon light (Yes, there is a moon, though the title is Eclipse...) and there are nurses. They are lesbians. And then, there is a doctor, who rapes the patient girl. Then at the field of the hospital, the nurses and the doctor fight each other.
In the last, we have a poem written by the author,「雪子ちゃんの視た夢(Yukiko-chan no Mita YUme: A Dream seen by Yukiko-chan)」.
Left: Original Version
Right: Revised Version
(This article is based on the Original version)
『夢のQ-SAKU(Yumeno Q-SAKU)』is Maruo Suehiro's second issue (For his first collection, see this post). The title is derived from 夢野久作(Yumeno Kyûsaku, 1889-1936), a detective writer in Taishô and early Shôwa era. Yumeno Kyûsaku is a pen name and that means 'dream chaser' or like that. His surrealistic detective novel, 『ドグラ・マグラ(Dogura Magura)』is considered as one of the most famous avant-garde detective novel in Japan (I can't explain what it is like. It doesn't resemble to nothing, its uniqueness is towering even today).
This collection is also published in 1982, so the content of the book is quite similar to his first collection, Bara-iro no Kaibutsu (1982). Sadism, perversion, homosexual, incest...
This book contains almost all vices in the world, but express some kind of lyricism as well. (Note that this book treats very erotic situations, but you cannot expect this book such kind of role, yes indeed, never.)
This book contains:
「学校の先生(Gakkou no Sensei: Teacher of School)」: This leading story is an homosexual sketch. We cannot see explicit sexual scene here. We can notice easily that this is inspired by a film Death in Venice (1971) directed by Luchino Visconti. The teacher is quite alike to Dirk Bogarde. But there is no Björn Andrésen here. The opposite in this story is not beautiful homme fatal, but young mysterious Don Juan. When the Don Juan (he is a trapeze performer in a circus) is performing a trapeze, we can see the onomatopeia, 「ゆやーん、ゆよーん、ゆやゆよん(yuyân yuyôn yuyayuyon)」which is derived from Japanese poet 萩原朔太郎(Hagiwara Sakutarô, 1886-1942)and it represent the sound made by trapeze.
「笛吸童子(Fue Sui Douji: Flute Sucking Childe)」: This short story is also homosexual. This is hardly a story, it's a kind of imaginary scenery. The title is maybe inspired by a Japanese radio and TV drama, 『笛吹童子(Fue Fuki Douji: Flute Playing Childe)』.
「ウンコスープの創り方(Unko Sûpu no Tsukuri-kata: How to make a shit soup)」: This is an adaptation of Histoire de l'oeil (1928), by George Bataille. Two boys and one girl plays in a room and finally drop into a sea riding on a mine-train.
「ハツコイ 壱萬壱千鞭譚(Hatsukoi Ichiman Issen Muchi-tan: First love, the Story of Eleven thousand whips)」: The subtitle of this story is maybe inspired by Les Onze Mille Verges (1907) by Guillaume Apollinaire, but has no factual relationship. This is a story of femme fatale. A boy peeps the lady next door. His father finds him peeping and scolds him hardly. But his father and the lady has a relationship. His father was a masochist...
「童貞厠乃介パラダイス(Dôtei Kawaya-no Suke Paradise)」: This is a second story of Kawaya-no Suke Trilogy (The first one is included in Bara-iro no Kaibutsu). Kawaya-no Suke lives in a toilet no more. He is a vagabond now. His piss attracts women and hypnotize them. He takes girls to the bandits and perhaps sells them.
「せんずり千太(Senzuri Senta: Jack off Senta)」:This is a quite strange story. This has a format that a narrator tells his story (maybe his memory?). But the content of the story is so strange that we cannot explain what it is. If anything, this is a catalog of sexual perversion of a family named Inugami-ke (The name Inugami-ke(犬神家) is peut-être derived from the famous detective story 『犬神家の一族(Inugami-ke no Ichizoku: The lineage of the house Inugami)』by 横溝正史(Yokomizo Seishi)). This story has some kind of comedy feeling.
「地獄の一季節(Jigoku no Ichi Kisetsu: A season in the Inferno)」: We cannot explain the content of the short sketch. This in not a story, but rather imaginary scenery. Or we call the style of this sketch, 'Confession.' The Slug in this sketch which metamorphose voluntarily, is maybe inspired by ムーピー(Mûpî), which is an amorphous blob appearing in famous Manga series, 『火の鳥(Hi no Tori)』by 手塚治虫(Tezuka Osamu, 1928-1989).
「美しい日々(Utsukusii Hibi: Beautiful Days)」: This in not a story. This is a kind of illustrated poem.
「きん玉のにぎり方(Kintama no Nigiri-kata: How to grab a ball)」: This is a parody of a old fashioned 'How-to-sex' of lady's magazine in a pre-war time. This 'how-to' teaches the way to play pervert sex.
「不能少年(Funou Shônen: Impotent Boy)」: This is a imagery story. Maybe this is an apparition seen by a boy, or a real thing?
「腐った夜 エディプスの黒い鳥(Kusatta Yoru Edipusu no Kuroi Tori: Rotten Night, Black Bird of Oedipus)」: This story is an adaptation of a horror story 「芋虫(Imomushi: The Worm)」 (1929), by 江戸川乱歩(Edogawa Ranpo, 1894-1965). (Maruo actually comicalizes "Imomushi" later.) There is a young beautiful girl. She has a father, but her father is maimed (maybe by a war), and has no legs and arms, and speaks nothing. She has a boyfriend, but between she and her father, there is a strange form of love...
「月食病院(Gesshoku Byôin: The Hospital of Lunar Eclipse)」: This, factually last story of this book, is a surrealistic and strangely erotic one. The scene is a hospital with a moon light (Yes, there is a moon, though the title is Eclipse...) and there are nurses. They are lesbians. And then, there is a doctor, who rapes the patient girl. Then at the field of the hospital, the nurses and the doctor fight each other.
In the last, we have a poem written by the author,「雪子ちゃんの視た夢(Yukiko-chan no Mita YUme: A Dream seen by Yukiko-chan)」.
Left: Original Version
Right: Revised Version
(This article is based on the Original version)
丸尾末広『薔薇色ノ怪物』Maruo Suehiro, "Bara-iro no Kaibutsu"
丸尾末広『薔薇色ノ怪物』1982年
Bara-iro no Kaibutsu (means the Monster in Rose Red) is the first recueil of a Japanese comic-artist, Maruo Suehiro. Maruo is maybe some kind of outsider artist. He has been commonly recognized as a Ero-Gro-Nonsense(1 Artist for a long time (recently, he draws some comicalizes of Edogawa Rampo, the most influential Japanese horror and detective writer and then becomes little a bit popular). Even today, he is famous only in a sub-cultural scene, but formerly, he was considered as, not sub-culture, but underground artist.
This book was first published in 1982, by 青林堂(Seirindo). Most of the works included here are written in 1981, and 1982. And almost all of them were first appeared in S&M magazines.
The works in this books are:
「カリガリ博士復活(Kari gari hakase fukkatsu: The Resurreciton of Dr. Caligari)」: This is apparently an hommage to a German expressionism film, Das Kabinett des Dr. Caligari. And the story of it, though we can hardly recognize 'story' here, is a summarize of the film.
「リボンの騎士(Ribon no Kishi: The Knight in a Ribbon)」: Its information of the first appearance is unknown (Only written its date, 1980). But we can easily guess that it should have appeared in some kind of underground magazine, because its whole story and character are strongly perverted.
「下男の習性(Genan no Shûsei: The Custom of the Houseman)」: This is an expression of Enfent Terrible. The background of the story is maybe a Japanese bourgeois class in Meiji or Taishô era. Maruo loves that kind of background for his works.
「少女椿(Shôjo Tsubaki: Girl Camellia)」: This is a prequel to his most beautiful story,『少女椿(Shôjo Tsubaki)』.The book which has a same title to this sketch is one of his masterpiece and I think that the book is his best. But in this story, main heroïn, Midori suffers misfortunes. She sells a flower standing on the street, but no one helps her. A gentleman helps her but he embrace her in the dark. Her mother dies being eaten her abdomen by rats. She goes to the gentleman. But it is a freak show and she is raped by freaks. A song she sang in the opening is 「酋長の娘(Shûchô no musume: Chieftain's Daughter)」. This song was first appeared in 1930, and inspired by 石田一松(Ishida Ichimatsu, 1902-1956), who settled in Micronesia and married with chieftain's daughter.
「僕らの眼球譚(Bokura no Gankyû-tan: Our Story of the Eye)」: This work resembles little a bit to 'Genan no Shûsei,' but this one has rather incest feeling.
「私ハアナタノ便所デス(Watashi ha Anata no Benjo desu: I am your toilet)」: This is a scatologic sketch. The boy who wears the costume of a hero evacuates on the face of his maid. He apologies himself, saying "I don't go to school, not because I am a retard, but because I want to be with you." This is a pervert love story (without hope).
「少年Z アレマ!!テオレマ(Shônen Z Arema!! Teorema: Boy Z Arema!! Teorema)」: This is a very surrealistic sketch. A young man stands in front of a house in the night. The young man says: "Please let me in." But an answer: "Please go elsewhere, we are not an inn." But the young man enters in the house, and plays with sleeping family, talking each other by monologue, and finally he stays the house. Maybe this is a parody of Teorema, an Italian film directed by Pasolini.
「天然の美(Ten-nen no Bi: Natural Beauty)」: This is a kind of intermission. In the big Japanese room, people laughs madly. Then they have an orgy. That's all. There's no story, no message, no meaning.
「童貞厠之介(Dôtei Kawaya-no Suke)」: This is a first of the "Kawaya-no Suke" triptych. Kawaya means toilet in a old Japanese. So Kawaya-no Suke stand for a toilet boy. As his name, he was abandoned by his mother in a toilet when he was a baby. He dwells in a toilet, and drags girls in a toilet (The toilet in classical Japanese style is quite different from western style. They have rooms under their lavatory basin to pool the 'one'.). One day, he drags an old lady, and the story suggest that the old lady would be his mother, then story ends.
「血と薔薇(Chi to Bara: Blood and Rose)」: There are three volume magazines which has been titled 'Chi to Bara.' They are directed by 澁澤龍彦(Shibusawa Tatsuhiko)and published in 1968-69. But in this case, the story would be influenced the french horror film, Et mourir de plaisir (The Japanese title of it is 'Chi to Bara'). The film was directed by Roger Vadim, and released in 1960.
「最モ痛イ遊戯(Mottomo itai Yûgi: The Most Painful Play)」: This is a play of children. Two boys play as Nazi officers, and a girl prisoner. Boys demand the girl sexual offerings and the demand escalates.Finally one boy says, "Captain! The spy is dead..."
「腐った夜(Kusatta Yoru: Rotten Night)」: This is a typical love triangle. A beautiful young girl marries with a rich old man for a money, but she has another young lover. They love secretly but the old man finds them out, and slashes them with a sword, then throws them in the storage. Though its expression is quite barbarous and grim, the story has certain beauty in its lyricism.
「腐ッタ夜 ちんかじょん(Kusatta Yoru Chinka Jyon: Rotten Night Chinka Jyon)」: A boy was run down by a horse cart with his left leg. His father remarries but the boy doesn't like his new mother. One day he was shouted by a dirty homeless, "What d'ya see, Chinka-Jyon!" (I don't quite clear the meaning of Chinka-Jyon). The homeless' left leg was lost, like him. The boy invites the homeless to his house and makes him rape his mother. His mother becomes nymphomaniac because of the affair. Then one day, the mother sees her napping son's broken leg. She takes it to her vagina, but the boy wakes up and stabs her with scissors. The boy sees now dead mother's vagina, and digs his head into her body. Then he shouts, "Darkness! I can see nothing!"
The book has a afterwords by 遠藤ミチロウ(Endô Michirô). He was a vocal of the punk band 'The Stalin,' at that time.
Left: Original Version
Right: Revised Version
(This article is based on the Original version)
Bara-iro no Kaibutsu (means the Monster in Rose Red) is the first recueil of a Japanese comic-artist, Maruo Suehiro. Maruo is maybe some kind of outsider artist. He has been commonly recognized as a Ero-Gro-Nonsense(1 Artist for a long time (recently, he draws some comicalizes of Edogawa Rampo, the most influential Japanese horror and detective writer and then becomes little a bit popular). Even today, he is famous only in a sub-cultural scene, but formerly, he was considered as, not sub-culture, but underground artist.
This book was first published in 1982, by 青林堂(Seirindo). Most of the works included here are written in 1981, and 1982. And almost all of them were first appeared in S&M magazines.
The works in this books are:
「カリガリ博士復活(Kari gari hakase fukkatsu: The Resurreciton of Dr. Caligari)」: This is apparently an hommage to a German expressionism film, Das Kabinett des Dr. Caligari. And the story of it, though we can hardly recognize 'story' here, is a summarize of the film.
「リボンの騎士(Ribon no Kishi: The Knight in a Ribbon)」: Its information of the first appearance is unknown (Only written its date, 1980). But we can easily guess that it should have appeared in some kind of underground magazine, because its whole story and character are strongly perverted.
「下男の習性(Genan no Shûsei: The Custom of the Houseman)」: This is an expression of Enfent Terrible. The background of the story is maybe a Japanese bourgeois class in Meiji or Taishô era. Maruo loves that kind of background for his works.
「少女椿(Shôjo Tsubaki: Girl Camellia)」: This is a prequel to his most beautiful story,『少女椿(Shôjo Tsubaki)』.The book which has a same title to this sketch is one of his masterpiece and I think that the book is his best. But in this story, main heroïn, Midori suffers misfortunes. She sells a flower standing on the street, but no one helps her. A gentleman helps her but he embrace her in the dark. Her mother dies being eaten her abdomen by rats. She goes to the gentleman. But it is a freak show and she is raped by freaks. A song she sang in the opening is 「酋長の娘(Shûchô no musume: Chieftain's Daughter)」. This song was first appeared in 1930, and inspired by 石田一松(Ishida Ichimatsu, 1902-1956), who settled in Micronesia and married with chieftain's daughter.
「僕らの眼球譚(Bokura no Gankyû-tan: Our Story of the Eye)」: This work resembles little a bit to 'Genan no Shûsei,' but this one has rather incest feeling.
「私ハアナタノ便所デス(Watashi ha Anata no Benjo desu: I am your toilet)」: This is a scatologic sketch. The boy who wears the costume of a hero evacuates on the face of his maid. He apologies himself, saying "I don't go to school, not because I am a retard, but because I want to be with you." This is a pervert love story (without hope).
「少年Z アレマ!!テオレマ(Shônen Z Arema!! Teorema: Boy Z Arema!! Teorema)」: This is a very surrealistic sketch. A young man stands in front of a house in the night. The young man says: "Please let me in." But an answer: "Please go elsewhere, we are not an inn." But the young man enters in the house, and plays with sleeping family, talking each other by monologue, and finally he stays the house. Maybe this is a parody of Teorema, an Italian film directed by Pasolini.
「天然の美(Ten-nen no Bi: Natural Beauty)」: This is a kind of intermission. In the big Japanese room, people laughs madly. Then they have an orgy. That's all. There's no story, no message, no meaning.
「童貞厠之介(Dôtei Kawaya-no Suke)」: This is a first of the "Kawaya-no Suke" triptych. Kawaya means toilet in a old Japanese. So Kawaya-no Suke stand for a toilet boy. As his name, he was abandoned by his mother in a toilet when he was a baby. He dwells in a toilet, and drags girls in a toilet (The toilet in classical Japanese style is quite different from western style. They have rooms under their lavatory basin to pool the 'one'.). One day, he drags an old lady, and the story suggest that the old lady would be his mother, then story ends.
「血と薔薇(Chi to Bara: Blood and Rose)」: There are three volume magazines which has been titled 'Chi to Bara.' They are directed by 澁澤龍彦(Shibusawa Tatsuhiko)and published in 1968-69. But in this case, the story would be influenced the french horror film, Et mourir de plaisir (The Japanese title of it is 'Chi to Bara'). The film was directed by Roger Vadim, and released in 1960.
「最モ痛イ遊戯(Mottomo itai Yûgi: The Most Painful Play)」: This is a play of children. Two boys play as Nazi officers, and a girl prisoner. Boys demand the girl sexual offerings and the demand escalates.Finally one boy says, "Captain! The spy is dead..."
「腐った夜(Kusatta Yoru: Rotten Night)」: This is a typical love triangle. A beautiful young girl marries with a rich old man for a money, but she has another young lover. They love secretly but the old man finds them out, and slashes them with a sword, then throws them in the storage. Though its expression is quite barbarous and grim, the story has certain beauty in its lyricism.
「腐ッタ夜 ちんかじょん(Kusatta Yoru Chinka Jyon: Rotten Night Chinka Jyon)」: A boy was run down by a horse cart with his left leg. His father remarries but the boy doesn't like his new mother. One day he was shouted by a dirty homeless, "What d'ya see, Chinka-Jyon!" (I don't quite clear the meaning of Chinka-Jyon). The homeless' left leg was lost, like him. The boy invites the homeless to his house and makes him rape his mother. His mother becomes nymphomaniac because of the affair. Then one day, the mother sees her napping son's broken leg. She takes it to her vagina, but the boy wakes up and stabs her with scissors. The boy sees now dead mother's vagina, and digs his head into her body. Then he shouts, "Darkness! I can see nothing!"
The book has a afterwords by 遠藤ミチロウ(Endô Michirô). He was a vocal of the punk band 'The Stalin,' at that time.
Left: Original Version
Right: Revised Version
(This article is based on the Original version)
2013年9月29日日曜日
アイアン・メイデン『魔力の刻印』Iron Maiden, "The Number of the Beast"
Iron Maiden, "The Number of the Beast," 1982
イギリスのメタル・バンド、アイアン・メイデンの3枚目である。1998年のリマスター版では、当時シングルB面だった「Total Eclipse」が追加収録されている。
さて、2枚目の『Killer』までのボーカル、ポール・ディアノに代わり、今作から新ボーカルのブルース・ディッキンソンである。よくパンク風味のポール・ディアノと、正統派ハイトーンのブルース・ディッキンソンが比べられたりするが、正直自分にはそれほど違いは分からない。両方とも「アイアン・メイデンのボーカルだなぁ」といった印象。もちろん別人の声と言うことは分かるから、あくまでも違和感を感じないということか。
ボーカルはバンドの顔だと思うが、洋楽は意外とボーカル交代がある。アイアン・メイデンしかり、メタル系に多い気が。キング・クリムゾンもチョコチョコボーカルが変わっているが、あれもあまり気にならない。日本のバンドでボーカルが変わるとものすごく気になるのに。やはり母語かそうでないかの違いはあるのかな。
今作の一曲目は「侵略者たち(Invaders)」。題名だけ見ると、近未来SF的な歌かと思っていたが、歌詞の内容はヴァイキングだった。たしかにヴァイキングも侵略者か。どうにもInvaderという語感に宇宙人のイメージがこびりつきすぎだ。
二曲目は「呪われし者の子ら(Children of the Damned)」。この曲はどうにもイメージがつかみづらい。歌詞の内容は、おどろおどろしいフレーズを繋げただけで、そこから明確な物語を読み取ることが難しい。スローテンポから中盤早くなる構成はカッコいいが、X Japan的な感じがして、新鮮味は薄いか(時代的には逆なのだが)。
三曲目は「囚人(The Prisoner)」。冒頭に不思議なセリフが収録されているが、これはイギリスで1967年に放送されていた「プリズナーNo.6(the Prisoner)」の引用。この「プリズナーNo.6」、ホントにわけがわからない作品で、不条理作品と言っても良い(同じ「プリズナーNo.6」をモチーフにしたのが、Devil Dollの『死せる少女に捧ぐ』)。このアルバム制作時にはすでに「懐かし番組」だったように思うのだが…。
四曲目は「アカシア通り22(22 Acacia Avenue)」。Wikipediaによると、アカシア通りというのはイギリスにおける中産階級のメタファーで、イギリスには少なくとも60以上のアカシア通りがあるという。とはいえ、この歌で歌われているのはロンドンのイースト・エンド(下町)にある、娼婦シャーロットがいる娼館が舞台。この娼婦シャーロット(Charlotte the Harlot)はアイアン・メイデン処女作でも歌われていた。それが3作目にも再登場というわけだ。こういったイギリスの下層階級におけるホラー風味というのはアイアン・メイデンの得意とするところ(もしかしたらチャールズ・ディケンズなんかが下敷きにあったりするのかもしれないが)。
五曲目は「獣の数字(The Number of the Beast)」。冒頭のナレーションは『ヨハネ黙示録』からの引用。ここで666を表す獣というのは、本来悪魔ではなく、キリスト教の迫害者、皇帝ネロを指すようだが、まぁ後世普通に悪魔を指すものと解釈された。当然この曲もそういった流れのなかに位置付けられる。しかも、最終的には悪魔の誘惑に負け、悪魔に則られる男の歌である。しかし、この曲のAパート冒頭のメロディが「聖者の行進」に似ているせいで、楽曲そのものとしては、やや緊張感を欠いて聞こえてしまうという欠点も。これに欠点を感じない人もいるだろうけど、自分としてはなぜか気になってしまう。
六曲目は「丘へ走れ(Run to the Hill)」。曲を聴くだけだと分かりにくいが、歌詞を聞くと、これがアメリカ原住民と白人の抗争の歌であることが分かる。一曲目の「Invaders」と似たような感じか?
七曲目は「無法者の土地(Gangland)」。ストレートなスピードチューン。歌詞の内容は、無法者の土地で命からがら逃げだす男の話か?
八曲目「皆既食(Total Eclipse)」はリマスター版で収録。皆既日食に恐れ逃げ惑う人々を謳った歌であり、曲調はややドゥーミーなところもあり(人間椅子っぽさもある、いや、それを言うならBlack Sabbathぽさか?)、アイアン・メイデンの普段の曲とは少し雰囲気が違う。もともとシングルB面だったということで、割と冒険したのだろうか?
九曲目、アルバムのトリを飾るのは「汝が名よ空しくなれ(Hollowed be thy Name)」。なんとも陰鬱な歌である。これから絞首台に向かう死刑囚の最期の瞬間の回想が綴られている。しかしなんというか…。「俺は地獄に行って楽しくやってやるぜ!あばよ!」という歌じゃないのだ。
うーむ、なんとも救いようのない歌である。しかしこれこそアイアン・メイデンお得意のパターン。ほとんど様式美の世界であるが、彼らがこういう曲を作るとき、外れはない。
全体としてよくまとまっているアルバムで、耽美な様式美の世界観もおおむね統一されている(ときたま「ん?」というのもあるが)。
イギリスのメタル・バンド、アイアン・メイデンの3枚目である。1998年のリマスター版では、当時シングルB面だった「Total Eclipse」が追加収録されている。
さて、2枚目の『Killer』までのボーカル、ポール・ディアノに代わり、今作から新ボーカルのブルース・ディッキンソンである。よくパンク風味のポール・ディアノと、正統派ハイトーンのブルース・ディッキンソンが比べられたりするが、正直自分にはそれほど違いは分からない。両方とも「アイアン・メイデンのボーカルだなぁ」といった印象。もちろん別人の声と言うことは分かるから、あくまでも違和感を感じないということか。
ボーカルはバンドの顔だと思うが、洋楽は意外とボーカル交代がある。アイアン・メイデンしかり、メタル系に多い気が。キング・クリムゾンもチョコチョコボーカルが変わっているが、あれもあまり気にならない。日本のバンドでボーカルが変わるとものすごく気になるのに。やはり母語かそうでないかの違いはあるのかな。
今作の一曲目は「侵略者たち(Invaders)」。題名だけ見ると、近未来SF的な歌かと思っていたが、歌詞の内容はヴァイキングだった。たしかにヴァイキングも侵略者か。どうにもInvaderという語感に宇宙人のイメージがこびりつきすぎだ。
二曲目は「呪われし者の子ら(Children of the Damned)」。この曲はどうにもイメージがつかみづらい。歌詞の内容は、おどろおどろしいフレーズを繋げただけで、そこから明確な物語を読み取ることが難しい。スローテンポから中盤早くなる構成はカッコいいが、X Japan的な感じがして、新鮮味は薄いか(時代的には逆なのだが)。
三曲目は「囚人(The Prisoner)」。冒頭に不思議なセリフが収録されているが、これはイギリスで1967年に放送されていた「プリズナーNo.6(the Prisoner)」の引用。この「プリズナーNo.6」、ホントにわけがわからない作品で、不条理作品と言っても良い(同じ「プリズナーNo.6」をモチーフにしたのが、Devil Dollの『死せる少女に捧ぐ』)。このアルバム制作時にはすでに「懐かし番組」だったように思うのだが…。
四曲目は「アカシア通り22(22 Acacia Avenue)」。Wikipediaによると、アカシア通りというのはイギリスにおける中産階級のメタファーで、イギリスには少なくとも60以上のアカシア通りがあるという。とはいえ、この歌で歌われているのはロンドンのイースト・エンド(下町)にある、娼婦シャーロットがいる娼館が舞台。この娼婦シャーロット(Charlotte the Harlot)はアイアン・メイデン処女作でも歌われていた。それが3作目にも再登場というわけだ。こういったイギリスの下層階級におけるホラー風味というのはアイアン・メイデンの得意とするところ(もしかしたらチャールズ・ディケンズなんかが下敷きにあったりするのかもしれないが)。
五曲目は「獣の数字(The Number of the Beast)」。冒頭のナレーションは『ヨハネ黙示録』からの引用。ここで666を表す獣というのは、本来悪魔ではなく、キリスト教の迫害者、皇帝ネロを指すようだが、まぁ後世普通に悪魔を指すものと解釈された。当然この曲もそういった流れのなかに位置付けられる。しかも、最終的には悪魔の誘惑に負け、悪魔に則られる男の歌である。しかし、この曲のAパート冒頭のメロディが「聖者の行進」に似ているせいで、楽曲そのものとしては、やや緊張感を欠いて聞こえてしまうという欠点も。これに欠点を感じない人もいるだろうけど、自分としてはなぜか気になってしまう。
六曲目は「丘へ走れ(Run to the Hill)」。曲を聴くだけだと分かりにくいが、歌詞を聞くと、これがアメリカ原住民と白人の抗争の歌であることが分かる。一曲目の「Invaders」と似たような感じか?
七曲目は「無法者の土地(Gangland)」。ストレートなスピードチューン。歌詞の内容は、無法者の土地で命からがら逃げだす男の話か?
八曲目「皆既食(Total Eclipse)」はリマスター版で収録。皆既日食に恐れ逃げ惑う人々を謳った歌であり、曲調はややドゥーミーなところもあり(人間椅子っぽさもある、いや、それを言うならBlack Sabbathぽさか?)、アイアン・メイデンの普段の曲とは少し雰囲気が違う。もともとシングルB面だったということで、割と冒険したのだろうか?
九曲目、アルバムのトリを飾るのは「汝が名よ空しくなれ(Hollowed be thy Name)」。なんとも陰鬱な歌である。これから絞首台に向かう死刑囚の最期の瞬間の回想が綴られている。しかしなんというか…。「俺は地獄に行って楽しくやってやるぜ!あばよ!」という歌じゃないのだ。
誰か俺が夢を見ていると言ってくれ
叫び声をこらえるのは簡単なことじゃない
話そうとすると、言葉が逃げていく
涙が落ちて行く、なぜ俺は泣いているんだ。
結局俺は死ぬのが怖いんじゃない。
終わりがないなんて信じちゃいないんだから。
衛兵が俺を中庭へと引き立てて行く
誰かが独房から叫ぶ「神がお前と共にあらんことを」
もし神がいるなら、なぜ俺を逃がしてくれないんだ?
うーむ、なんとも救いようのない歌である。しかしこれこそアイアン・メイデンお得意のパターン。ほとんど様式美の世界であるが、彼らがこういう曲を作るとき、外れはない。
全体としてよくまとまっているアルバムで、耽美な様式美の世界観もおおむね統一されている(ときたま「ん?」というのもあるが)。
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